ヤンキースなどで活躍、68歳で死去のオスカー・ギャンブルの野球人生
77年にはホワイトソックスで31本塁打の強打者
フィリーズ、インディアンス、ヤンキースなどで活躍したオスカー・ギャンブル氏が1月31日、死去した。68歳だった。
ギャンブルはアラバマ州出身。1968年のドラフト16巡目(全体363位)で、シカゴ・カブスに入団。同期にはフィリーズで活躍した長距離打者グレッグ・ルジンスキーなどがいる。
右投げ左打ち。2年目にはメジャーに昇格。アーニー・バンクス、ロン・サントといった、殿堂入りした強打者ともプレー。この年のオフ、トレードでフィリーズに移籍。以降、外野手としてメジャーに定着するが、下位打線を打つことが多く、本塁打も少なく、レギュラーにはなれなかった。
1973年にインディアンスに移籍。ア・リーグは前年から指名打者制を導入していたが、ギャンブルはこの年に打撃開眼、指名打者として70試合に出場。シーズン計20本塁打を打つ。
当時のインディアンスは下位に低迷していたが、ギャンブルは中軸打者として活躍した。ただ左投手を打てないイメージが強く、左投手が先発のときは右打者のジョン・エリスが先発することが多かった。
1975年オフにトレードでヤンキースへ。76年は右翼を守る。左翼は後に巨人でもプレーしたロイ・ホワイト、中堅は俊足のミッキー・リバースだった。
1977年はホワイトソックスへ、交換でヤンキースに移籍したのはワールドシリーズの大活躍で知られるバッキー・デントだった。
77年のギャンブルは、5番に座って31本塁打。この年のア・リーグの本塁打王はジム・ライスの39本。ギャンブルは6位タイだったが、1本塁打当りの打数は13.16でギャンブルがリーグ1位だった。