「野球選手」馬場正平の記憶 宮崎キャンプ1年目に姿現した「巨人軍の巨人」
新人選手として異例のインタビューも「走ることは苦手です」
前年11月の入団時の身体測定は公開で行われ、その模様がスポーツ新聞に大きく掲載されたので、馬場正平の名は知れ渡っていたが、大部分の巨人選手にとって、馬場と会うのはこの時が初めてだった。
巨人ナインはその大きさに度肝を抜かれた。背が高いだけでなく横幅もあった。馬場は他の選手とともに練習をしたが、その巨大な体躯はどこへ行っても目を引いた。
「今日の練習でグラウンドを5周しただろう、3周目から後ろの方で、汽車がダッシュするような、グウッグウッとへんな声がしたろう。あれは馬場のこきゅうなんだってさ、一番後ろにいるのが、一番先頭の者の耳にまで聞こえるなんてのははじめてだぜ」
先輩選手の山崎弘美は語っている。
馬場は、新人選手としては異例なことに、野球雑誌のインタビューを受けている。
――プロ野球に入ってから一番驚いたことは?
馬場「とにかく毎日ランニングをさせられることですね。走ることは苦手です」
――尊敬している選手は?
馬場「巨人軍では千葉(茂)さんと松田(清投手)さん」
――ではあこがれの大選手は?
馬場「杉下(茂)さん、別所(毅彦)さん」
――巨人なるが故にいままで起こしたできごとで、一番困ったことは?
馬場「そうですね、高校時代、バスケットのゲーム中、相手選手の足をふんだら、その選手の足がつぶれて、一週間以上医者に通わなければならなくなったことです」
しかし、本格的に野球を始めてわずか半年でプロ入りした馬場は、プロの練習にはついていけず、コーチが野球の基本を一から教えなければならなかった。早々に2軍落ちが決まり、巨人の主力が南米遠征(8勝18敗だった)から帰ってきたときには、馬場は多摩川の2軍寮に戻っていた。
馬場正平が1軍の試合で投げるのは2年後の1957年8月。プロ野球をあきらめて力道山に入門し、プロレスラーへの道を歩むのは5年後の1960年4月のことである。
身長は巨人に入団後も伸び続け、2メートルに達していた。
(広尾晃 / Koh Hiroo)