62年前のハワイキャンプ たった1度のチャンスをものにした野村克也

「この最初のチャンスを逃さなかったところに、野村の良さがあった」

 野村も先輩選手と一緒に門限を破り、鶴岡監督に叱られている。しかし野村は毎日、鶴岡監督と顔を合わせていた。野村はボールの個数を管理する担当で「今日は何個足りませんでした」と鶴岡の部屋に報告に来ていたのだ。

 実直な野村に好感を抱いた鶴岡は、ハワイチームとのオープン戦で野村を先発で起用した。そこそこ投手をリードするし、打撃もいい。そして1年間捕手をしていなかったことで、痛めた肩も回復していた。

 正捕手の松井淳は肩を痛め、精彩を欠いていた。南海はハワイ相手に10勝1敗と大勝したが後半戦は野村がマスクをかぶった。そして話は、「キャンプの収穫は野村だけ」という鶴岡監督の話へとつながる。

 シーズンが始まっても松井淳が不調だったこともあり、野村は正捕手の座を手にした。そして翌57年には30本塁打で本塁打王を獲得している。

 ハワイキャンプを張った1955年オフ、南海は中央大から穴吹義雄、立教大から大沢昌芳(のち啓二、大沢親分)、法政大から長谷川繁雄と大学きっての好打者3人を獲得、チームの大型化をはかった。しかし打線の中心にどっかと座ったのは、その誰でもなく、テスト生上がりの野村克也だったのだ。

 鶴岡一人は述懐している。

「この最初のチャンスを逃さなかったところに、野村の良さがあった。プロ野球の世界では、チャンスは2度とあるものではない。ただ1度のチャンスを逃したために消えていった有能選手が何人いたことだろう」

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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