平成ベストナインを選ぶ 打線のつなぎ役が多い二塁手、強打の助っ人も
平成に入り1000試合以上二塁を守ったのは11人
来年、平成は終わりを迎える。この期間、多くの選手が活躍した。ここで平成時代のベストナインを考えていきたい。一塁手に続いて二塁手。平成時代に1000試合以上二塁を守った選手は11人いる。試合数は二塁守備に就いた数。打撃成績は他の守備位置での数字も含む。昭和の時代に記録した数字は含まれない。2017年オフまで。
〇正田耕三(平成元年~10年。広島)
1136試合(1209安打40本331点 85盗 打率.279)盗塁王1回、ベストナイン1回、ゴールデングラブ3回。
昭和62、63年と2年連続で首位打者。好守で赤ヘル軍団の守備の要となるとともに、俊足好打のスイッチヒッターとして、赤ヘル軍団の勝利に貢献した。
〇辻発彦(平成元年~11年 西武)
1053試合(1113安打36本360点 155盗 打率.287)首位打者1回、最高出塁率1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ6回
最強軍団西武ライオンズの不動の二塁手。コツコツ当てる打撃と、「攻めの姿勢」の守備はともに名人芸と言われた。現在は古巣西武の監督を務める。
〇和田豊(平成元年~13年 阪神)
1027試合(1600安打27本379点 73盗 打率.293)最多安打1回。ベストナイン2回、ゴールデングラブ3回、
遊撃手から二塁に転向。犠打の名手として最多犠打2回。逆らわない打撃で、阪神打線の二番打者として活躍。のち監督も務める。
〇立浪和義(平成元年~21年 中日)
1148試合(2405安打167本1019点 113盗 打率.287)ベストナイン1回、ゴールデングラブ3回
ミスタードラゴンズ。PL学園時代に春夏連覇。中日では当初遊撃手。平成4年に二塁に転向し、平成14年から三塁手に。NPB最多二塁打記録保持者。