「産みの苦しみ」がドラマを生む――2000本安打達成者たちの言葉
落合氏はオレ流コメント「2日続けて嘘をつくのはまずいからな」
宮本慎也は同じ2012年5月1日に3安打し、1999安打としたが、5月3日のDeNA戦では安打が出ず。5月4日の神宮球場での広島戦、2回裏に福井優也から中前打で達成した。たった1試合無安打だっただけだが、本人は悩んでいたようで、「全然ヒットが出なくて、正直、もう1本も打てないんじゃないかと思ったこともありました。ホッとしました。その一言に尽きます」と語っている。2000本安打は、達成した人にしかわからないプレッシャーがあるのだ。
落合博満は、あと1安打になった1995年4月13日、翌14日の阪神戦で2000本安打を達成すると宣言したが、この日は安打は出ず。15日に東京ドームでの阪神戦で、6回裏に久保康生から左越ソロ本塁打でクリアした。「もういいぞ、苦労したぞ。2日続けて(2000本安打を打つと)嘘をつくのはまずいからな。45歳まではできる」と話した。
2004年、清原和博は2000本まであと18本と迫って開幕を迎えたが、ヤクルトからペタジーニが移籍してきて一塁で併用されたため、出場機会が減る中での達成だった。6月4日、神宮球場でのヤクルト戦で1回表にべバリンから中前打で達成すると、「18本が180本にも感じていた。一発の男らしく、本当は左翼席への豪快な本塁打で決めたかった。でも、打撃の基本はセンター返し。そういう意味では、2000本にして原点に戻った感じです」と謙虚なコメントをした。
中には、立浪和義のように2003年7月4日の巨人戦で2安打して1997本とし、翌日の同じカードで3打数3安打して達成するなど、産みの苦しみを知らない大台突破もあった。「大きな怪我なくやってこれた。勝ち試合で打ててうれしい。今日で3本打つ強い気持ちだった。重圧はなかった」と、クールなコメントを残している。
NPBの誇る安打製造機・内川聖一は大台をクリアした際、どんな言葉を残すだろうか。
(広尾晃 / Koh Hiroo)