95歳で死去 カージナルスの名二塁手、レッド・シェーンディースト氏の功績

カージナルスなどで活躍したレッド・シェーンディースト氏【写真:Getty Images】
カージナルスなどで活躍したレッド・シェーンディースト氏【写真:Getty Images】

殿堂入り現存最高齢者が6日に他界、ミュージアルとともに「カージナルスの元老」

 6月6日、セントルイス・カージナルスなどで活躍した名内野レッド・シェーンディースト氏が死去した。95歳。米国野球殿堂入りした生存野球人としては最高齢者だった。

 シェーンディースト氏は1923年2月2日、イリノイ州に生まれる。同年生まれには初期の黒人メジャーリーガーとして活躍し、1962年には中日でもプレーした殿堂入り選手のラリー・ドビーがいる。

 1942年、名GMとして知られたブランチ・リッキーが組織したカージナルスのファーム・チーム、アルバニー・カージナルスに入団。1945年にMLBに昇格。この年、いきなり盗塁王を獲得した。

 当初は左翼を守っていたが俊敏な動きを評価され2年目には内野手にコンバートされる。この年に二塁手として320守備機会無失策のMLB記録を樹立。
スイッチヒッター。本塁打は少なかったが俊足で、シュアな打撃を買われて1番を打った。

 1940年代後半~50年代前半のカージナルスは、シェーンディーストが出塁し、スタン・ミュージアル、イーノス・スローターという2人の殿堂入り強打者がこれを返すというパターンができていた。

 カージナルスでプレーした11年でオールスターに9回選出される。派手なプレーは少なかったが、失策が少ない堅実な守備と、二塁打を量産するシャープな打撃で鳴らす。また犠打などの小技も得意だった。

 カージナルスの花形選手だったが、1956年6月14日、大型トレードでニューヨーク・ジャイアンツに移籍。さらに翌1957年6月15日にはアトランタ・ブレーブスに移籍する。この1957年はジャイアンツ、ブレーブスで合わせて200安打を記録、ナ・リーグの最多安打に輝いている。

 1961年にブレーブスをリリースされカージナルスに復帰。以後はコーチ兼任選手とし代打などで3年間プレーし、引退した。

 通算成績は2216試合8479打数2449安打84本塁打773打点89盗塁、打率.289。オールスター選出は通算10回。当時、守備の賞はなかったが、ゴールドグラブ賞があれば二塁手部門の常連だっただろう。

 1965年にカージナルスの監督に就任。1976年まで采配を執る。また1980年、1990年にも短期間ながら監督になる。監督通算成績は1999試合1041勝955敗。リーグ優勝2回。1967年にはルー・ブロック、オーランド・セペダ、ロジャー・マリス、ボブ・ギブソン、スティーブ・カールトン、のち南海のボビー・トーランなどを擁してワールドチャンピオンに輝いている。

 1969年から殿堂入り投票にエントリーされたが、プレイヤー表彰では選出されず、1989年、ベテランズ委員会によって殿堂入り。背番号「2」は、セントルイス・カージナルスの永久欠番になっている。

 以後もスタン・ミュージアルとともに「カージナルスの元老」として重きをなした。カージナルスは、栄光の歴史の生き証人を失ったことになる。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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