2軍で打率4割を――大胸筋断裂を乗り越え西武入り、甲子園優勝ドラ2の現在地

大胸筋断裂で遠投ができないまま戦った最後の夏

 3年の夏には「3番・左翼」で全試合に出場し、大会通算27打数9安打、10打点をマーク。決勝でも3安打4打点の活躍で全国制覇に貢献した。しかし、西川はバッティングでは活躍したものの、守備では遠投ができなかった。2年春の県大会決勝で、大胸筋断裂の大ケガを負っていたからだ。

「2年春の県大会決勝の試合中、ボールを投げた瞬間に雷に打たれたみたいになって。試合後に肩を見たらパンパンに腫れて真っ黒なあざになっていて、それを見て吐きそうになりました。『もう高校の野球人生は終わったな』と思いました」

 バッティング練習ができるようになったのは、それから1か月後だった。練習ができない日々が続いたが、ブランクは感じなかったという。その言葉通り、2年夏の甲子園は「4番・左翼」で出場。3回戦まで勝ち進み、10打数6安打、4打点の活躍を見せた。

 その年の11月に患部を手術。当時は「プロを狙える実力はない」と考えており、復帰は3年の夏に間に合わせられれば、と思っていたという。

「3年の夏になっても、完全な状態には戻らなかったですね。甲子園では、レフトにボールが飛ぶと内野手が近くまでボールを取りに来てくれました。本当にみんなに迷惑をかけました」

 西川は笑みを浮かべながら当時を振り返り、改めて仲間に助けられて掴んだ甲子園制覇の喜びをかみしめた。

プロで外野から内野に転向「率を残せるバッターになりたい」

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