中日ビシエドがセ記録の月間47安打 NPB月間安打記録に名を連ねる名選手たち

今より少ない130試合制で作られたイチローの大記録

 月間最多安打記録は長く南海の広瀬が保持していた。1964年のパ・リーグは150試合制で試合数が多く、1964年5月の広瀬は25試合に出場して46本の安打を放った。その後のNPBは130試合制が長く続き、月間試合数は22~3試合となったため広瀬の記録はアンタッチャブルなものとなっていた。

 1986年のNPBはオールスター戦を3試合行い、1週間のオールスターブレイクを取った関係で、8月の試合数が26~27試合と増えたこともあり、巨人のクロマティと西武の石毛が順調に安打数を伸ばした。しかしともに1本及ばない45本に終わる。二人は打数も本塁打数も同じだった。

 1996年8月のオリックスは24試合だったが、イチローは絶好調で安打を量産し、8月30日のダイエー戦では5打数4安打で46安打とし、広瀬に並ぶ。そして31日のダイエー戦で工藤公康から安打を打って記録を更新。さらに1安打を加えて48安打とした。当時も130試合制だったが、絶好調のイチローには試合数は関係なかった。

試合数増加後は統一球導入で投高打低に

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