ロッテ福浦の脳裏に残る20年前の開幕戦 本拠地での偉業へ力強く「決めるよ」
必死の練習が影響し、心霊現象のような噂が広がったことも
当時の福浦は1軍生き残りをかけて、試せることは何でもやった。まだ球団では映像解析のシステムが構築されていない時代。仲のいいテレビ局のディレクターに頭を下げてテレビ局の映像室で何時間も当時、活躍していた左打者の映像を食い入るように見ては参考になることを探したこともあった。スロー映像を繰り返し見せてもらった。何度となくヒントを見つけた。
オフの日も、外出して家に戻ってから、ウエートのため深夜に球場入りするのは当たり前だった。深夜2時、3時でもウエートのルーティンを続けた。重いバーベルを持ち上げる福浦の声に、いつしか関係者の間では「深夜、マリンのウエート場から不気味な声が聞こえる」と心霊現象のように噂が広がったこともあった。試合日に球場からバットを持ち帰ってベッドで一緒に寝ていた時期もあった。
「明日打たせてください。お願いします、と頼みながら、次の日に試合で使うバットと一緒に寝ていたんだよ。もちろん、今はやっていない。でも、それくらい当時は1軍での生き残りをかけて藁にもすがる思いだった。悔いを残したくない。ただ、それだけ。毎日を必死に生きようとしていた」
時は流れた。藁にもすがる想いで日々を過ごしていた若者は42歳となった。そして苦節25年、ついにその安打は1999を記録した。ガムシャラに生きた日々で積み重ねてきた数字。王手を決めた一打は「どうやって打ったかも覚えていない」と振り返るほど、ガムシャラに打った左前打だった。
「雨の中、あんなに多くのファンの皆様に応援してもらってね。最後、決めたかったね。申し訳ない。ただ勝って決めたい。勝ってファンの皆様と喜びを分かち合いたい。明日、期待に応えられるように頑張るよ。もちろん、ファンの皆様が何を求めているかは分かっている」
試合後、悪天候にも関わらず声を枯らして応援をしてくれた2万3596人の観衆に感謝をした。そして勝てなかったこと、期待に応えられなかったことを詫びた。この男らしいコメントだった。「決めたいよ。いや決めるよ」。球場を後にする時、いつも謙虚な大ベテランが珍しく力強く言い放った。
22日はZOZOマリンスタジアムでのデーゲーム(14:00試合開始)。すでに超満員が予想されている。相手は長年のライバルであり戦友である松井稼頭央外野手の所属するライオンズ。いつもどんな時も支えてくれるマリーンズファンと、この25年間で出会った恩師や友、支えてくれたチームスタッフ、家族のために。本拠地ZOZOマリンスタジアムで様々な想いを込めた2000本目の安打を生み出す。
(マリーンズ球団広報 梶原紀章)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)