ソフトバンク甲斐が因縁の地で手にしたMVP 勝敗を分けた指揮官の積極采配
酸いも甘いも味わった因縁の地での大活躍
甲斐にとってマツダスタジアムは思い出であり、因縁の地だった。まだ「拓也」の登録名でプレーをしていた2014年6月7日、この敵地での広島戦で悲願の1軍デビューを果たした。16-2と大量リードのために巡ってきた展開とはいえ、育成6位から這い上がってつかんだ夢舞台だ。アピールに必死だった。
しかし、投手との呼吸が合わないのかあっという間に走者をためて3ラン本塁打を許してしまう。もちろん焼け石に水の反撃で勝利のハイタッチの輪に加わることはできたのだが、甲斐に笑顔はなかった。ずっと大切にしている野球ノートを開くと、いつもの黒ペンを赤ペンに持ち替えて出来事や感じたことを書き記した。そして「悔しい」と大きな文字で締めくくった。
翌年のオープン戦でも失態をやらかした。2015年3月22日。両チーム無得点のまま試合が進み迎えた9回裏2死満塁、まさかのパスボールでサヨナラ負けを喫した。公式戦ではない。だけど、甲斐は涙が止まらなかった。2018年秋、そのマツダスタジアムでの頂上決戦で誰よりも輝いた男になった。
「このような素晴らしい賞を頂いたけど、高谷さんの力もあった。一番しんどい部分、最後を守ってくれたのは高谷さんです。僕はまだまだ力不足」
第6戦、甲斐は7回の打席で代打を送られ、日本一決定の瞬間にマスクを被ることはできなかった。