来秋ドラフト候補の日本代表左腕・立教田中に独占インタ 「1年間マウンドに」

インタビューに応じた立教大学・田中誠也【写真:沢井史】
インタビューに応じた立教大学・田中誠也【写真:沢井史】

大阪桐蔭時代は2年夏、3年春の甲子園に出場した田中誠也

 1年春からマウンドに立ち続けてきた田中の大学野球は、まさに山あり谷ありだった。なかなか勝ち星がつかなかった1年生のマウンド。そして先発を任されるようになった2年の春からチームの柱となり、今やリーグを代表する左腕に。きゃしゃな体から繰り出されるキレのあるストレートにドロンと落ちるカーブは田中の代名詞だ。

「入学した時は澤田さん(=圭佑・現オリックス)や田村さん(=伊知郎・現西武)がいて自分は主にリリーフ。その頃はなかなか結果が出なくてうまくいかないことの方が多かったです。でも、2年生になって先発するようになって、高校までの“貯金”が使えるようになりました」

 “貯金”。田中は大阪桐蔭で2年の夏、3年の春と甲子園を経験。2年の夏は全国制覇を果たしたが、背番号10を背負って2回戦の開星戦で先発し、3回戦の八頭戦では完封勝利を挙げている。3年春はエース。全4試合に登板しベスト4に進出した。当時はストレートが130キロ半ばで、コントロールの良い左腕、というイメージだったが、大学に進学して球威は140キロを超え、ピッチングにはクレバーさが増した。

「高校での経験があったから、リリーフから先発になっても、わりとすんなり受け入れられたんじゃないかと思います。というより、大学ですぐ投げられたのは自分と似たようなタイプがいなかったからじゃないですかね。でも高校からずっと大事にしてきたことは投げるテンポです。

 自分のリズムで投げながら、バッターのスイングや見逃し方を見て、ある程度抑えるパターンを考えられるようになりました。高校とは違って大学のバッターは簡単にボール球に手を出さないし、見切り方も違う。じゃあどうやってタイミングをずらそうとか、待っていない球は何かを表情や雰囲気で感じ取って、ここはこの球を投げようとか、分析しながら投げることを意識しました」

大学では自主性が全て「自分で動かないと置いていかれる」

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