大物選手を積極補強、80年代はクロマティが活躍…歴代外国人選手診断【巨人編】
1975年ジョンソンを皮切りに大物選手と続々契約
草創期の職業野球には、亡命ロシア人家系のビクトル・スタルヒンが加わっていた。9歳から北海道で育ったスタルヒンは巨人に入団し、澤村栄治とともにエースとして活躍。巨人の外国人最多勝はスタルヒンの199勝となっている。
また、プロ野球では草創期から日系2世選手が活躍していた。巨人では1951年にハワイから来日した与那嶺要(ウォーリー与那嶺)が、首位打者3度、最多安打3度を記録するなど、川上哲治の最大のライバルとして活躍した。また、宮本敏雄(エンディ宮本)も打点王2回と活躍した。
しかし、巨人はV9時代まで日系以外の外国人選手をとらない「純血主義」を貫いていた。それを解除したのが1975年。長嶋茂雄の引退、監督就任に伴い、ブレーブス時代の1973年に43本塁打を放った大物内野手デービー・ジョンソンを獲得した。しかし、ジョンソンは1年目に不振を極め、「ジョン損」と揶揄されることも。これ以降、巨人は積極的に外国人選手を獲得するようになる。
巨人の外国人補強の特色は「大物選手を獲る」こと。MLB通算2020安打、314本塁打のレジー・スミス(1983-1984)をはじめ、1803安打160本塁打のロイ・ホワイト(1980-1982)、100勝のクライド・ライト(1976-1978)などだ。
そうした中で、打者として最も成功したのはウォーレン・クロマティだろう。クロマティもモントリオール・エクスポズで1063安打を記録する一流選手だったが、巨人では首位打者1回、最多安打1回、MVP1回、ベストナイン3回を記録。80年代の巨人を牽引した。