いつからエースナンバー? 巨人菅野がつける背番号「18」の歴史
巨人の菅野は来季から「19」から「18」に変更
今季2年連続の沢村賞を受賞した菅野智之が、来季から背番号を「19」から「18」に変更すると発表された。巨人では9人目になる。わずか1番の違いだが、日本のプロ野球では「18」はエースナンバーとして特別の意味を持っている。
日本のプロ野球で背番号18を最初につけたのは、ビクトル・スタルヒンだ。リーグ戦が始まる前年の1935年に東京巨人軍で「18」をつけた。当時の背番号は、内野手が1桁、投手が2桁で、順番に割り振っていただけとされている。その時点では特別な背番号ではなかった。
以後巨人では9人の投手が「18」をつけた。その背番号での成績。
スタルヒン(1935)
前川八郎(1936-1938)18勝20敗341.1回 防御率3.48
中尾輝三(1939-1942、1946-1957)209勝127敗3057回 防御率2.48
近藤貞雄(1946)23勝14敗300.1回 防御率2.18
藤田元司(1958-1966)102勝75敗1465.1回 防御率2.15
堀内恒夫(1967-1984)187勝137敗6S 2864回 防御率3.39
桑田真澄(1986-2006)173勝141敗14S 2761.2回 防御率3.55
杉内俊哉(2012-2018)39勝22敗0S 571回 防御率3.03
菅野智之(2019-)
リーグ戦が始まってから最初に「18」をつけた前川八郎は野手兼投手の二刀流で目立った成績を上げていない。しかし、1939年に「18」をつけた中尾が209勝を挙げる大活躍(中尾は1942年に兵役に就き、1946年に復帰したがこの間に近藤貞雄が短期的に「18」をつけている)。巨人では、中尾の活躍で「18」がエースナンバーとなった。
慶大のエースとして活躍した藤田元司は1957年の入団時は「21」だったが、17勝を挙げて新人王をとると、2年目に「18」を与えられた。この時は前年に引退した中尾コーチが藤田に背番号を譲った。当時の雑誌では「エースナンバーの継承」と報じている。
以後、高卒1年目で16勝を挙げて新人王になった堀内恒夫が2年目に「21」から「18」に。さらにPL学園時代、甲子園で大活躍した桑田真澄はドラフト1位で入団した年から「18」をつけた、桑田の退団後、背番号「18」は空き番号になっていたが、杉内俊哉がソフトバンクからFA移籍する際に「18」が与えられた。これまでの「18」は、巨人生え抜きがつけてきたが、移籍した投手がつけるのは異例と話題になった。
今回の菅野の「18」は、右の生え抜きエースの継承であり、伝統回帰と言えるだろう。巨人だけでなく、NPB各球団でも「18」はエースナンバーとして特別視されている。阪急(現オリックス)の米田哲也、広島の長谷川良平、ロッテの成田文男、横浜・DeNAの三浦大輔など各球団を代表するエースがつけてきた。
ただし、これは日本だけ。MLBでは「18」は特別の番号ではない。なかには「18」で223勝を挙げ殿堂入りしたメル・ハーダーのような大投手もいるが、名遊撃手ビル・ラッセルや強打者モーゼス・アル―、俊足外野手のジョニー・デーモンなども付けた。
日本からMLBに移籍した選手は、背番号「18」にこだわることが多い。今季、ポスティングでMLB移籍を目指す西武の菊池雄星は「16」をつけているが、メジャーでは何番をつけるのだろうか?
(広尾晃 / Koh Hiroo)