「僕は阿波野を…」西崎幸広氏が語るライバル像、目指したピッチングとは
「年間を通して防御率4.50の投手がいいかって言ったら…」
西崎氏が考える「自分のピッチング」とは、相手打線を絶対に0点に封じるというものではない。野球は1点でも多く取ったチームが勝つ。「1点取られても2点取ってくれる。9点取られても10点取ってくれる。そう信じて投げると、気持ちが楽になりましたね」と振り返る。
「僕らの時代は先発完投が多かったので、プランとして9回を3イニングずつに区切って、3イニングに1点は取られてもいいと考えていました。最初の3イニングを0点に抑えたら、次の3イニングで1点取られてもいい。逆に、2点を取られても6回投げられれば、僕の中では合格点だったんです。この考え方だと防御率3.00でしょ。いわゆるクオリティースタートは6回で自責が3点だから、防御率では4.50。年間を通して防御率4.50のピッチャーがいいかって言ったら、そんなことはない。だから、僕の中でクオリティースタートは6回で2失点。年間を通じては防御率は3.50以内になるように目指していました」
15年の現役生活で西崎氏が防御率3.50を超えた年は6度あるが、4点台を超えたのはわずか2度だけ。いずれも4.08で大崩れをしたことはない。それも、3回投げたら、次は6回。6回まで達したら、あとは1イニングずつ投げられるところまで。先を見過ぎず、1イニングずつ、1球ずつを重ねた結果だったのだろう。
現在は投手分業制が進む野球界だが、1990年前後は先発完投が主流だった。西崎氏は通算258試合で先発しているが、約半数の117試合で完投するなど、とにかく投げた。もし当時、投手分業制が存在したら……。
「もっと寿命は長かったかもしれませんね。当時、先発は中5日のスケジュール。エースの場合、もし火曜日に投げたら中4日で日曜日に投げていた。1シーズン130試合しかない中で30試合近く先発していたんですから、それは肩肘が消耗しますよね。今ではOB戦で投げても、フォームは昔のままだって言われますけど、ボールは山なりですから(笑)」
そう言って浮かべた笑顔には、先発投手に完投が求められた時代に、マウンドで熱投を繰り返し、その役割を果たしたエースの誇りが浮かんでいた。
(佐藤直子 / Naoko Sato)