「沢村栄治対策」の秘密特訓が春季キャンプの原型? 阪神キャンプ地の歴史

星野監督時代に沖縄・宜野座にキャンプ地を変更

 1969年には法政大学からドラフト1位で入団した大物ルーキー、田淵幸一がキャンプに参加。報道陣の大きな注目を浴びた。1974年には掛布雅之も、プロ生活のスタートをこの地で切っている。1981年にはアリゾナ州テンピ、1984年にはハワイ・マウイ島で海外キャンプを行ったが、安芸市でのキャンプも並行して行われた。

 阪急、阪神に次いで、1969年には南海ホークスが高知県大方町などでキャンプを開始、1980年には西武ライオンズも高知県春野町でキャンプを開始した。高知県は、宮崎県に次ぐ「春季キャンプのメッカ」となる。球団が同じエリアに集まってくれば、練習試合やオープン戦も組みやすくなる。そういうメリットもあって、高知県に春季キャンプが集中したのだ。

 今は、球場の前に土佐くろしお鉄道が走り、球場前駅で降りればすぐにキャンプ見学ができるが、この鉄道が2003年に開通する前は高知市からの鉄道の便はなく、野球ファンや報道陣はバスやタクシーで球場に駆け付けた。高知市のタクシー運転手は「野村克也監督の時代(1999年~2001年)には、2月の売り上げが一年で一番多かった」と話した。安芸市は阪神タイガースの「第2のホームタウン」になった。

 2002年に就任した星野仙一監督は、さらに温暖な沖縄県に春季キャンプを移した。沖縄県宜野座村では当時、日本ハムが2軍キャンプを行っていたが、注目度を高めるために1軍キャンプの誘致活動を行っていた。阪神と宜野座村の思惑が一致し、2003年から宜野座村での春季キャンプが始まった。

 安芸市や高知県は市、県を挙げて引き留め活動を行い、2軍キャンプはそのまま安芸市で存続され、1軍キャンプのみが沖縄で行われるようになった。阪神のようにキャンプ移転に際して元のキャンプ地の要請で、2軍だけキャンプを存続するケースは散見される。

 宜野座村は2006年には室内練習場「宜野座ドーム(現かりゆしホテルズボールパーク宜野座DOME)」を建設。宜野座村営球場(現在はかりゆしホテルズボールパーク宜野座)には、1月には甲子園球場を管理する阪神園芸のスタッフもサポートし、入念に整備される。今では、宜野座村は、阪神ファンの巡礼地となっており、2月には関西弁が飛び交うようになった。ブルペンに観客席が設けられるなど、見ごたえのあるキャンプ地だ。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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