現役最終年に20勝、2チームで100勝 殿堂入りムッシーナの偉大なキャリア
オリオールズとヤンキースでナックルカーブを武器に活躍
2019年の米野球殿堂入り投票で、326票(得票率76.7%)を得て、6年目で選出されたマイク・ムッシーナは、1968年12月にペンシルバニア州ウィリアムズポートで生まれた。この地はリトルリーグ発祥の地でもある。
高校時代にボルチモア・オリオールズから11巡目で指名されるが、入団せず名門スタンフォード大に進み、1990年のアマチュアドラフト1巡目(全体20位)で、再度オリオールズに指名され入団。ドラフト同期の全体1位はチッパー・ジョーンズ。ジェロミー・バーニッツも同期。
入団時から実力は群を抜いていたようで、いきなりAAで投げる。翌年にはメジャー昇格。この年は4勝に終わるが、プロ3年目の1992年には241回を投げて18勝。以後、2006年まで15年連続で規定投球回数に到達、またキャリア最終年まで17年連続で2桁勝利、先発投手として活躍した。
ムッシーナは150キロ台半ばの速球と何種類かの変化球を投げたが、ナックルカーブの使い手として有名だ。人差し指と中指をボールに立てて握る。縦方向に大きく変化するが、制球が難しいとされる。しかしムッシーナはこの球種を自在に操ることができた。
ムッシーナは「打者をアウトにする方法」をたくさん持っていた投手だ。三振を奪いたいときは球威のある速球を投げ、ゴロを打たせたいときはナックルカーブを使った。いずれも制球が良く、大きな破綻がなかった。投球フォームはコンパクトだったが、それはすぐに守備態勢に入るためであり、投手のゴールドグラブを7回受賞している。
1995年には19勝で最多勝。オリオールズでは絶対的なエースとして君臨したが、2001年にヤンキースに移籍。同一リーグ、同地区への移籍だけあって、対戦相手は変わらず、以後も安定感のある成績を残した。ただ、オリオールズ時代は5回オールスターに選出されているが、安定感のある投球を続けたヤンキースでは1度も選ばれなかった。
大きな故障知らずだったが、38歳の2007年に腰痛を発症し戦線離脱。11勝を挙げたものの規定投球回数に10イニング届かなかった。39歳の2008年は契約最終年。4月は3勝3敗に終わったものの、5月以降順調に勝ち星を積み上げ、キャリアで初めて20勝(9敗)を記録。39歳9か月の20勝投手は史上最高齢だったが、シーズン終了後に引退を発表した。20勝を記録したシーズンに引退したのは、1966年、ドジャースのサンディ・コーファックス以来だった。
通算成績は537試合270勝153敗3562回2/3で2813奪三振、防御率3.68。最多勝1回、ゴールドグラブ7回。オリオールズでの147勝は球団歴代3位。ヤンキースでの123勝は歴代11位。2チームで100勝投手になったのはMLB史上で9人目だ。
スタンフォード大学出のメジャーリーガーは96人いるが、殿堂入りはムッシーナが初めて。数字的には十分だったが、選出が少し遅れたのはタイトル獲得数が少なく、やや地味な印象があったためか。しかし大きな怪我をせず、長年にわたって安定感のある投球を続けることができたのは、ムッシーナが体に負担をかけない合理的な投球フォームで投げたからであり、後進の手本になる名投手だったと言えよう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)