被災を乗り越え、チーム結束の鵡川 鬼海監督「失ったものばかりじゃない」

室内練習場をランニングする鵡川高野球部【写真:石川加奈子】
室内練習場をランニングする鵡川高野球部【写真:石川加奈子】

23日には第91回選抜高校野球選手権大会の開会式を見学する

 昨年9月の北海道胆振東部地震で被災した鵡川高野球部が、仮設住宅から甲子園出場を目指している。春休みには例年通り和歌山合宿(串本町)を行い、23日には第91回選抜高校野球選手権大会の開会式と試合を見学する。

 室内練習場から選手24人の元気な声が響いてきた。「そろそろ“かわいそう”と思われるのは卒業しなきゃ。僕らは恵まれ過ぎていますよ」。出迎えてくれた鬼海将一監督はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。「失ったものばかりじゃない。この半年、特に最初の2、3か月が内面を強くしてくれました」とたくましく成長した選手たちを優しく見つめた。

 1月中旬に集団で生活可能な選手寮タイプの仮設住宅に引っ越し、今でこそ落ち着いた生活を送るが、震災直後は全く先が見えなかった。

 震度6強の地震に見舞われたのは昨年9月6日午前3時7分。4階建ての旧野球部寮は激しく揺れ、停電した。道東の清里町から野球留学中の佐藤翼(1年)は「自分の命が危ない。なくなるかもしれないと思いました。2段ベッドの上にいたので、下に移動して2人で毛布にくるまっていたら、1階に集まれという連絡がありました。」と当時の様子を生々しく振り返る。

 鬼海監督が咄嗟に心配したのは津波だった。ししゃも漁で有名なむかわ町の中心部に建つ寮は海岸線から1キロ足らず。筑波大時代の友人たちからSNSを通じて津波の心配はないと情報が入手すると、避難はせずに明け方まで選手と一緒に1階のホールで過ごした。

 明るくなって目にした光景にがく然とした。食堂の大型冷蔵庫は倒れ、炊飯器にセットされていた大量の米が散乱し、どこから片付けて良いのか分からないほどメチャクチャだった。玄関のガラスは割れ、外に出ると、地盤沈下により建物を取り囲むように1メートル近い段差ができていた。学校のグラウンドの一塁側にあった防球ネットはすべて倒壊。「倒れたネットを見た時には震えました」と鬼海監督は話す。

 実はこの時期、チームは秋季北海道大会室蘭支部予選を目前に控えていた。「辞退は考えていませんでしたが、正直、野球どころではありませんでした」と鬼海監督はすぐに選手を各々の自宅に帰すことを決めた。学校再開で集合したのは11日。12、13日と2日間練習して14日の初戦に臨んだものの、苫小牧工に2-6で敗れた。

 初戦敗退して旧野球部寮に戻った夜、チーム内に新たな意識が芽生えた。内海陸主将(2年)が「(被災地のために)何かできることはありませんか」と鬼海監督に相談したのだ。指揮官の思いも同じ。「選手が自分たちからアクションを起こしてくれたことがうれしかった」とボランティアを最優先に活動することを決めた。

 農協を通じて情報を集め、イチゴのビニールハウスの撤去作業など人手を必要とする場所に出向いた。鬼海監督は「廃業を考えていた農家の方が、選手たちが一生懸命撤去作業する姿を見て『勇気をもらったからもう一度頑張る』と言ってくれました。そういうことが復興に近づくのかなと思いました」と語る。

野球部寮が半壊、大部屋暮らしとなったがプラスに

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