被災を乗り越え、チーム結束の鵡川 鬼海監督「失ったものばかりじゃない」

仮設住宅には選手が自分たちで決めたルールが貼られている【写真:石川加奈子】
仮設住宅には選手が自分たちで決めたルールが貼られている【写真:石川加奈子】

野球部寮が半壊、大部屋暮らしとなったがプラスに

 選手たちがボランティア活動に注力していた頃、旧野球部寮には新たな問題が持ち上がっていた。建物が「半壊」と認定され、11月中旬に町の生涯学習センター「報徳館」への避難を余儀なくされた。

 1学年一部屋で10人分以上の布団が並ぶ。プライベート空間のない避難所での2か月近い生活はストレスが溜まるはずだが、内海主将は前向きに捉えた。「全員一緒に過ごすことで会話が増えて、いい経験になりました」。自然とミーティングの時間が増えた。「生活も野球も自分たち主体でやろうと話し合い、ルールも自分たちで決めました」。自由時間には好きな女の子の話をするなどプライベートでもお互いをよく知る機会になった。

 ボランティア活動と大部屋暮らしが選手たちを変えた。昨年4月から舎監を務める国井恒太朗コーチ(26)と荒木将伍コーチ(23)は間近でその変化を感じた。「いろんな方と交流する中で視野が広がり、コミュニケーションスキルが高くなりました」と国井コーチ。荒木コーチも「みんなの表情が明るくなり、人に話しかける機会が増えました」と話す。鬼海監督は「見られていること、注目されることで変わりました。周りの皆さんに育ててもらっています」と言う。

 室内練習場の内側に張り巡らされたネットは地震の激しい揺れで所々穴が空き、倒れた打撃マシンは7台中5台が故障して廃棄処分になった。それでも現状を悲観する選手は一人もいない。「生活は変わっても野球に影響は出ていないです。自分たちは野球ができていますが、まだ壊れたままの家もある。一層頑張って、元気な姿を見せたい」と内海主将は力を込める。

 名物監督だった佐藤茂富元監督が強力打線を築き上げ、02、04、09年と3度センバツに導いた道立校。02年センバツ出場時エースだった鬼海監督が17年夏に監督に就いた後も引き継がれるモットーの「元気、本気、一気」は、被災した8000人の町民に勇気を与える姿勢に違いない。

 22日には和歌山合宿に向けて出発、23日にはセンバツの開会式を見学する。「町のいろんな人たちから『勝ってくれ』と言われています。応援されているという無形のものを力に変えて、勝って恩返しをしたいです。目標は夏の甲子園出場」と内海主将。聖地の光景を目に焼き付け、町民の後押しを受けながら甲子園への道を一歩ずつ力強く歩む。

(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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