「人生何があるか…」 無名の存在から西武へ、宮田和希さんが伝えたいこと
「野球が好きで、一生懸命やっていたら、いつかはいろんな道が開けてくる」
「本当に運がよかった。縁は大事なんだなと感じました。まさか自分がプロになれるとは思っていませんでしたし、周りの人もみんなびっくりしていました」
7年目の2015年に初勝利を挙げたが、翌年は左肘の手術もあり、1軍での登板機会はなくオフに戦力外通告を受けた。その後、トライアウトを受けたものの声はかからず、ライオンズアカデミーのコーチに就任した。
「ほかのコーチに比べて実績がないので、子どもに何を言っても説得力がないなと思っていました。でも、周りから『プロを経験したんだから』と言われて、割り切ってやるようになりました。僕はエリートじゃないけど、自分の人生を振り返ると、誰かがどこかで見てくれていた。だから、頑張っていれば誰かが見てくれていると子供たちに伝えています。野球が好きで、一生懸命やっていたら、いつかはいろんな道が開けてくる。人生何があるかわからない。それを覚えていてほしいと思います」
小学生の時、ポジションはファーストだった。中学生の時には「ピッチャーをやりたい人」と聞かれ、勇気を出して手をあげたことがきっかけで、ピッチャーになった。だから、子どもたちには何事にも勇気を出して取り組んでほしいと願っている。
「その時も手をあげるか迷ったんです。あの時勇気を出して手をあげていなければ、ずっとファーストだったかもしれない。そうしたら、プロになっていなかったかもしれないですね」
コーチになったばかりの時、子どもたちに「高校はどこなんですか?」と聞かれても「誰も知らないようなところだよ」と、答えを濁していた。今は「どこそれ?」と言われても、自信を持って答えている。無名高からプロの舞台にたどり着いた自らの人生を手本に「頑張っていれば、必ず道は開ける」と子どもたちに伝え続けている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)