イチロー200安打、松井秀喜50本塁打…平成の偉大なシーズン記録【打者編】
谷と福浦が50本以上の二塁打をマーク、三振は4位までブライアントが“独占”
○シーズン最多二塁打
1956(昭和31)年に、山内和弘(毎日)が記録した47二塁打を1998年(平成10年)にフィル・クラークが48二塁打で更新し、2001(平成13)年には谷佳知(オリックス)が52本を記録。地味な記録だが、中距離打者の勲章と言えるだろう。シーズン50二塁打は、2003(平成15)年に福浦和也(ロッテ)も達成している。
○シーズン最多犠打
昭和時代の最多は1988(昭和63)年、和田豊が記録した56犠打。平成に入って川相昌弘(巨人)が、1990(平成2)年に58犠打、1991(平成3)年に66犠打と塗り替えた。この記録がアンタッチャブルになったかと思われたが、2001(平成13)年に宮本慎也(ヤクルト)が67犠打でこれを更新。平成時代は、犠打が多用された時代でもあるのだ。
○シーズン最多三振
昭和時代のシーズン記録は、1977年(昭和52年)にボビー・ミッチェル(日本ハム)が記録した158三振だったが、平成に入ってこの記録は次々と更新され、1993(平成5)年にラルフ・ブライアント(近鉄)が204三振を記録。シーズン200三振はNPBではこれだけ。NPBのシーズン三振記録の1位から4位はすべてブライアント。日本人最多は2004(平成16)年の岩村明憲(ヤクルト)が記録した173三振。平成時代は、投手がフォークやスライダー、チェンジアップなど空振りが奪える球種を多用したこともあって、三振数が増えている。
○シーズン最多死球
昭和の記録は1952(昭和27)年に岩本義行(大洋)が記録した24死球、これを2007(平成19)年にグレッグ・ラロッカ(オリックス)が28死球で更新。ラロッカは投手に向かっていくタイプの打者だけに死球が多かった。広島時代の2004(平成16)年にも歴代3位タイの23死球を喫している。
打撃のシーズン記録は試合数や、投打のバランス、球場の大きさなどの影響が大きい。令和の時代はどんなシーズン記録が生まれるだろうか。
(広尾晃 / Koh Hiroo)