イチロー200安打、田中24勝0敗、大谷165キロ…パ平成に生まれた快挙を振り返る
平成のスター・イチロー氏のNPB史上初のシーズン200安打
「平成」が幕を閉じる。1989年から30年間続いたこの期間、プロ野球界においてはさまざまな快挙が達成されてきた。今回は、平成のうちにパ・リーグで達成された記録の数々を紹介していきたい。
◯イチロー氏:NPB史上初のシーズン200本安打超え(1994年)
今年3月に惜しまれながら現役を退いたイチロー氏は、登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更したプロ3年目の1994年に大ブレークする。驚異的なペースでヒットを量産し、打率.385に加えてNPB史上初の200安打超え(210安打)を達成。当時は現在より10試合以上も少ない130試合制であり、イチロー選手がどれほどハイペースでヒットを積み重ねていったかがうかがえる。
イチロー氏のその後の活躍は周知の通りだ。7年連続の首位打者、5年連続の最多安打、5度の最高出塁率、打点王・盗塁王と、数多くのタイトルを獲得し、山田久志氏に続いて史上2人目の3年連続MVPに輝く。MLBでも、2度の首位打者、7度の最多安打、盗塁王とMVPに加え、歴代最多のシーズン262安打を記録。通算安打は3000本を超え、日米の球史にその名を刻む偉大な打者となった。
◯北川博敏氏:代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン(2001年)
北川氏は1994年に捕手としてドラフト2位(逆指名)で阪神に入団したが、1軍定着できないまま2001年に近鉄へと移籍。新天地でも的山哲也氏、古久保健二氏といった守備力の高い捕手陣に阻まれてレギュラー定着は果たせなかったが、代打として徐々に存在感を発揮する。29歳の誕生日に自身初のサヨナラ打を放つなど随所で活躍を見せ、優勝争いを繰り広げるチームに貢献していた。
勝てばリーグ優勝となる2001年9月26日のオリックス戦、近鉄は9回表を迎えた時点で3点ビハインド。だが、ここで近鉄打線が無死満塁の絶好機を作ると、梨田昌孝監督は北川氏を代打に送り込む。ここで北川氏はオリックス・ブルーウェーブのクローザー・大久保勝信氏のスライダーを捉え、左中間スタンドへ。「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」となった奇跡の一打は、今なお多くのファンに語り継がれる伝説の名場面となっている。
◯松中信彦氏:平成唯一の3冠王(2004年)
2000年代前半のパ・リーグを代表する強打者として活躍した松中氏にとって、2004年はキャリアハイの1年となった。前年に自身初タイトルとなる打点王を獲得すると、開幕からより凄味を増した打棒を披露。主要三部門のすべてで上位をキープし、城島健司氏、小笠原道大氏、和田一浩氏、フェルナンド・セギノール氏といった強打者たちと熾烈なタイトル争いを繰り広げた。
2004年はアテネオリンピックが開催される年であり、城島氏、小笠原氏、和田氏が五輪出場のためにチームを離れたことも松中氏にとっては追い風に。セギノール氏とのマッチレースが最後まで続いた本塁打王争いが最大の関門だったが、最終的には同数で並んでタイトルを分け合うことに。130試合で44本塁打120打点、打率.358という成績で「平成唯一の3冠王」という称号を手にした。