「男から見ても魅力的」「別格」タイガーマスクが熱弁する原辰徳の“魅力”【第1弾】
「野球センスは本当にピカイチで、少年野球の選手から見ても憧れの人でした」
――タイガー少年をそこまで惹きつけた原選手の魅力とは?
「原さんは大学を出て、みんなが行きたい巨人で4番を打ったワケですよ。長嶋(茂雄)さんの再来じゃないけど、野球センスは本当にピカイチで、少年野球の選手から見ても憧れの人でした。守備だったら河埜和正さんか篠塚(和典)さん、バッティングだったら原さんを、みんな真似してましたよね。肩に顎を乗せる感じの構えとか。すごく魅力的でしたよ、男から見ても」
――スター性がずば抜けていたんでしょうね。
「そういうものを備えた4番打者でしたよ。巨人の4番と言えば、原さんとか松井(秀喜)さんがすぐ思い浮かびますね。僕たちの時代は、3、4、5番がクリーンナップというより、4番=スーパースターの打順、強打者が打つ場所っていうイメージしかなかった。僕はすばしっこかったんで、少年野球では二塁を守りながら2番を打ったり、7番に下げられたりでしたけど(笑)。
当時、阪神には岡田(彰布)さんがいたり、広島には衣笠(祥雄)さんや山本(浩二)さんがいたり。そんな中でも原さんは別格でしたよね。華があるというか、本当に格好よかったです」
――後楽園球場にはよく通っていたんですか?
「行きましたね~。子供の頃、20回以上は行ってますよ。全部外野席でしたけど。いつもオヤジと一緒だったんですけど、結構ミーハーで野球選手が見たくて仕方ないタイプ。選手がバスに乗るところを見に行ったりしていたんですよ。僕は勝手に一緒に連れて行かれて『あれは○○選手だよ』って教えてもらって。
そうそう、中日に高木守道さんっていたでしょ。あの方が現役だった時、後楽園球場でたまたまオヤジが声を掛けたら、僕にボールを持ってきてくれたんですよ。それで高木さんも好きになりました(笑)」
――原選手は1981年から1995年まで現役を続けましたが、印象に残っている試合はありますか?
「子供の頃に見たシーンではないんですけど、久々にホームランを打ってバットを放り投げた時があったでしょ。あれは好きでしたね」
――1992年7月5日のヤクルト戦ですね。当時、怪我などで打撃不調だった「4番・原」が、第3打席まで完璧に抑えられていたヤクルト先発の伊東昭光から、2-4で迎えた9回1死一塁の場面で左翼へ同点2ランを打った場面でした。首位を独走していたヤクルトに、巨人が1ゲーム差まで迫って迎えた試合でもありました。
「あのシーンはやっぱり好きですね~。その年は周りから散々言われていたわけですよ。何で使うんだとか、もう打てないだろうってね。そこでホームランを打つって。持っているな、この人って思いますよね。
試合中の原さんのイメージって感情を爆発させるタイプではない。デッドボールが当たっても、そんなに怒らなかったじゃないですか。衣笠さんじゃないですけど、すごく紳士なイメージがあったから、あの場面は強烈な印象が残っていますね」