「バンビーノの呪い」ビル・バックナー氏を振り返る 1986年WSで“サヨナラトンネル”

強打の一塁手、外野手としてプレーしたビル・バックナー氏【写真:Getty images】
強打の一塁手、外野手としてプレーしたビル・バックナー氏【写真:Getty images】

1986年のワールドシリーズでサヨナラ負けとなるトンネル

 5月27日、強打の一塁手、外野手として22年にわたってプレーしたビル・バックナー氏が死去した。69歳だった。

 1949年12月生まれ。マイク・シュミット、テッド・シモンズらが同世代。高校時代から強打の左打者として知られ、1968年のドラフト2巡目でロサンゼルス・ドジャースに入団。ドラフトではゲイリー・マシューズやグレッグ・ルジンスキーが同期。

 ドラフト翌年には1試合だけだが早くもメジャーの試合に出場。2年目以降は、代打、右投手の際のスタメンなどで徐々に出場機会を増やし、1974年には打率.314で3位になる。1977年1月にはトレードで、シカゴ・カブスに。
カブスでも一塁手、左翼手として活躍し、1980年には打率.324で首位打者を獲得。1981年にはオールスターに選出された。

 本塁打はそれほど多くなかったが、ライナー性の速い打球が多く、最多二塁打を2回記録。職人肌で、極めて早打ち。三振が少ない打者として知られ、ドジャース最終年の1976年には680打席でわずか26個しか三振をしていない。しかし早打ちのため四球も少なかった。

 1984年5月にトレードでレッドソックスへ。ア・リーグに移っても安定した成績を上げ、85、86年と100打点を記録。1986年、レッドソックスはワールド・シリーズに進出し、ニューヨーク・メッツと対戦。レッドソックスが3勝2敗と王手をかけた第6戦、レッドソックスは延長10回表に5-3とリード。あと3つのアウトで世界一というところまできたが、救援投手のスキラルディが撃ち込まれ同点に、代わったスタンリーはメッツのムーキー・ウィルソンを一ゴロに打ち取ったが、この打球をバックナーがトンネルしてメッツがサヨナラ勝ち。メッツは余勢をかって第7戦も勝利してワールド・チャンピオンとなる。

レッドソックスは2004年にワールド・チャンピオンに輝き「バンビーノの呪い」が解ける

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