「髪を伸ばしたから負けた」は承知 丸刈り廃止“固定概念”を変える秋田中央の夏
当初は選手たちに戸惑いも「高校野球は坊主というイメージがあったので…」
「坊主頭に甘えない。『身だしなみ、いいよね』と言われているのが好きじゃないんです。坊主頭で野球の格好をしていると、世の中的に“野球部員だから”ちゃんとしているでしょ、と思われる。うちの選手たちがということではありませんが、例えば、だらしないことをしていても、格好でごまかしていたり、甘えていたりする部分があるのではないかと思うんです」
今では佐藤監督の意図を理解している秋田中央の選手たちだが、さすがに最初は戸惑ったという。二塁を守る佐々木夢叶(3年)は「高校野球は坊主というイメージがあったので、最初は抵抗がありました。自分で髪型を考えないといけないし、伸ばした髪型が似合わなかったらどうしようと思いました」と振り返る。選手たちの声を聞くと、多くが野球を始めた小学生の頃から丸刈り。「1番・遊撃」の新堀文斗(2年)は「小学3年から坊主でした。野球をやるというのは、坊主にするとイコールだと思っていました」という。中学、高校も当然のように丸刈りで、そこに疑問を持つことはなかった。
佐藤監督が選手たちに「脱坊主」を話した直後、花巻東(岩手)との練習試合があった。花巻東は現チームが始動した昨秋から丸刈りをやめている。それを知らなかったという新堀が「髪が伸びているのを見て、シンプルにかっこいいなと思いました」と言えば、佐々木も「普通に爽やかにプレーしていたので、伸ばしてもいいのかなと思いました」という。秋田中央の選手たちにとってはいい“サンプル”になった。
野球部員の丸刈りは多くが「伝統」によるところがあり、大会前には五厘にするという慣例がある学校もある。選手権大会が100回を終え、元号も令和に変わった今、秋田中央にとどまらず「坊主をやめようと思っている」と話す高校の監督が増えてきたと感じている。
東北地方でかつて、丸刈りではなかった高校といえば宮城・仙台育英だ(現在は丸刈り)。きっかけは1994年のカナダ・アメリカ遠征。先方から「坊主では来ないでくれ」と言われ、髪を伸ばして行ったのだという。01年のセンバツでは決勝まで勝ち進んだが、散髪に行く時間がなかったため、大会終盤には髪の毛をかきあげて帽子をかぶったほど。当時、仙台育英を指揮した佐々木順一朗監督(現学法石川監督)は「甲子園の歴史上、一番の長髪は仙台育英。社会人野球の都市対抗かなと思ったね」と笑う。そんな佐々木監督は学法石川の監督に就任した初日に、選手たちに髪型について話し合うように提案している。
「スポーツ刈りでいいです。髪型で何かが良くなるという感覚は僕にはないので。なぜ、これを言うかというと、あえて、火事の中に飛び込んでいってもいいよ、ということです。髪の毛をスポーツ刈りにして試合に負けた時を想像できる? 『髪の毛、伸ばしてっからだよ』と言われるかもしれない。でも、そんなことじゃないよって本当にみんなで思うんだったら、それを逆手にとって頑張って、自分たちから飛び込んでいくのも自分たちを変えるための1つの手。矢面に立つのは付き合います」
学法石川の選手たちは丸刈りを続行したが、それは自分たちで話し合って決めたこと。丸刈りだろうとスポーツ刈りだろうと、大切なことはそこに選手の「意思」があるかどうかだ。
秋田中央も佐藤監督の提案から1週間をかけて、選手たちで話し合って決断した。エース・松平涼平(3年)は「違和感はありませんし、野球をやることには変わりはありません。髪が伸びて、まだ世間からは『違うんじゃないか』と思われると思うんですけど、そういうのを早くなくてし、見た目ではなく、野球を見てもらいたいなと思います」と話す。新堀も「坊主をやめて負けたら、『髪を伸ばしたから負けたんだ』と言われるのは承知の上。なので、何としても結果を残したいですし、結果を出すことによって周りからの意見は変わると思うので、坊主でなくても野球の技術は関係ないというところをまずは秋田で見せていきたいなと思っています」と力を込める。
春の県大会は準々決勝で大曲工に延長10回の末、3-2で勝利。準決勝は明桜に2-3と競り負けたが、3位決定戦で湯沢翔北を2-0で破り、7年ぶりとなる東北大会に駒を進めた。充実の春を経て、夏本番。秋田中央は12日に初戦を迎える。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)