戦力外、育成、野手転向… プロ5年の苦労人が掴んだ初アーチ「まだ野球がしたい」

中学時代にはすでに将来の夢はプロ野球選手

 大分県佐伯市で、三人兄弟の次男として誕生した佐野選手。

「子供の頃から体を動かす事が大好きで常に走り回っていました」

 小学3年生までは陸上競技と柔道を兼任していたが、兄の影響で小学4年生から野球をスタート。ハードな練習に取り組み、力をつけていった少年は小学生の頃から中心選手としてプレーし、驚異的なスピードで成長を遂げると同時に野球のことをどんどん好きになっていったそうです。

 中学時代にはすでに将来の夢は“プロ野球選手”。周りの友達には「将来野球選手になる!」と夢を語り、授業中にはよく先生の目を盗んでノートにサインの練習もしたそうです。「卒業文集にもプロ野球選手の真似をしてサインを書いたりしていましたね」。当時を振り返り懐かしそうに笑顔を見せていました。

 2014年にドラフト3位指名でオリックスに投手として入団。ずっと夢だったプロ野球人生がスタート。しかし、そこに待っていたのは苦難の連続でした。

「プロ2年目~3年目の頃が一番辛かったですね」

 2016年にウエスタン・リーグ公式戦で20試合に登板し2勝1敗、防御率3.03でシーズンを終えた。だが、ステップアップを誓った2017年に投げたのは僅か5イニング。防御率は7.20。思い描く投球ができずに苦しんだ。登板数が激減した当時のことをこう振り返った。

「思うように投げられなかった自分が悪いし、ただ、ただ自分の責任でした。悔しかったです」

当時、球団のアシスタントMCとして舞洲に取材に行った時の佐野選手の姿を今でも覚えている。俯き加減で、時折どこか暗い表情だった印象が残っている。

「あのときはモチベーションも自信も失っていた気がします。」

 ファームでもほとんど登板機会がないまま、時は過ぎていくばかり。そして頭をよぎるのは“戦力外通告”の5文字。上手く投げられない。登板機会すらほとんどない。学生時代あれだけ楽しかった野球、大好きだった野球が苦しくて辛くて嫌いになりそうだった。

 地元に帰り、家族や友達と顔を合わせたときには「俺、今年でクビやわ~!」「引退したら漁師になるわ~!」。本当は望んでもいないことを口にしていた。

 そんな佐野選手に母は「野球だけが人生じゃないからね」と言葉をかけ、友達は「今まで十分頑張ってきたじゃないか」と労った。

「あのとき母ちゃんは、僕の重荷にならないようにああいう言葉をかけてくれたけど、本当は野球選手として活躍する僕の姿を見たいと思っていたとおもうんです。そして僕もあんなこと口では言っていたけど本当は、支えてきてくれた家族に野球で恩返しがしたいし、応援してくれている友達に1軍で活躍している姿を見てもらいたい。心のどこかでまだ野球がしたいと思っていましたね」

 希望を胸に飛び込んだ憧れのプロ野球の世界。あれだけ自分の生活に彩りを与えてくれていた野球。いつしかその野球に苦しめられるようになっていた。

2017年オフに戦力外通告、育成を経て野手に転向

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