衝撃を与えた暴露本「ボールフォア」 著者のジム・バウトン氏が80歳で死去

ヤンキースなどで活躍したジム・バウトン氏【写真:Getty Images】
ヤンキースなどで活躍したジム・バウトン氏【写真:Getty Images】

ヤンキースなどで活躍後に暴露本を執筆、その後は人気スポーツキャスターに

 ヤンキース、アストロズなどで投げ、ベストセラー「ボールフォア」を出版したことでも知られる投手、スポーツキャスターのジム・バウトン氏が7月10日に死去した。80歳だった。

 ジム・バウトンは1939年3月8日、ニュージャージー州の生まれ。1959年、ドラフト施行前にヤンキースに入団。183センチ、77キロの右腕で、速球を武器に1962年にメジャーデビューした。翌1963年には21勝を挙げて、オールスターにも出場。ミッキー・マントル、ロジャー・マリス、ホワイティ・フォードなどがならぶスター軍団の主戦投手となった。

 翌年も18勝を挙げるが、以後、成績が下落。1968年にはシアトル・パイロッツ(現ミルウォーキー・ブルワーズ)に金銭譲渡され、翌年にはアストロズにトレードされる。この時期のバウトンは、ナックルボーラーに変身していた。しかし、1970年を最後にメジャーのマウンドからは姿を消す。

 バウトンは、現役中から球団との金銭的なもめごとや選手のゴシップを報道陣に話していたが、1971年「ボールフォア」を刊行する。これは友人のライター、レオナード・シェクターの協力で書かれた野球界の暴露本。当時の選手がアンフェタミンを多用していること(1974年以降はIOCによって禁止薬物に指定されるが、当時は違反ではない)、シーズン中も多くの選手が女性を追いかけまわしていたこと、などを赤裸々に描いた。

 この本は衝撃を与えて騒ぎとなったが、バウトンは圧力に屈しなかった。有名人となったバウトンは、テレビ局のスポーツキャスターとなる。しかし、1975年に再び現役に復帰。ナックルボールを駆使し、1978年には8年ぶりにアトランタ・ブレーブスからメジャー復帰。1勝を挙げた。39歳だった。

 この年オフに2度目の引退をしたバウトンは、自らのカムバックを描いた「ボールファイブ」を刊行。また、テレビドラマ化された「ボールフォア」の主演も務めた。さらに野球小説「ストライクゾーン」も執筆した。MLBでの通算成績は10年で304登板、62勝63敗、1238回2/3、防御率3.57だった。

「ボールフォア」の刊行は、アメリカのジャーナリズムに大きな影響を与え、以後、アスリートの暴露本が多数書かれるようになった。また、MLBなどプロスポーツ側は、選手のプライベートを守ることに神経を使うようになった。

 アスリート上がりの有名人となったバウトンだが、「ボールフォア」が大きな衝撃を与えただけに野球界とは疎遠だった。1998年、59歳のバウトンは、ヤンキースタジアムの「オールドタイマーズデー」に招かれ、久々にファンにあいさつをした。「ボールフォア」などバウトンの著作は、日本でも翻訳・刊行され、話題に。日本でも1980年代に入ると江本孟紀「プロ野球を10倍楽しく見る方法」、板東英二「プロ野球これだけ知ったらクビになる」など、球界の内幕を描いた本が書かれ、ベストセラーになるが、バウトンはこうした刊行物にも影響を与えたと言えるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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