【あの夏の記憶】「本当は鹿実に行きたくなかった」定岡氏の心を動かした身近で最大のライバル
「どこかで兄をライバルと思うようになってきていた」
兄の代は71年夏・鹿児島県決勝で敗れ、あと1歩のところで甲子園出場を逃した。
兄貴超えをしたい――。そんな心が芽生え始めた時に、今度は自宅に大学や社会人野球のスカウトが兄を獲得するためにやってきた。そうしているうちに、プロからドラフト指名があるかもしれないという驚きの事態に発展。南海ホークスにドラフト3位で指名され、プロのスカウトも自宅にやってきた。
「美味しい手土産を持ってきて……。子供だからそれだけでも、うれしかったです(笑)。近所にだって、プロ野球選手なんていない遠い世界なのに、家族からプロ野球選手が出るなんて……。どこかで兄をライバルと思うようになってきていたので、そこで兄よりももっといい選手になりたいって、(同じ風に進もうという気持ちが)芽生えたかもしれません。心に炎が付きました」
兄の実力がわかっていたからこそ、自分がどうすべきかを考えることができた。そんな小さな炎がモチベーションとなり、道は拓けていった。