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先発からの配置転換が名ストッパーを生む? 過去に活躍したパ投手を振り返る

オリックスのブランドン・ディクソン投手は、プロとしてのキャリアの大半を先発投手として過ごしてきた存在だった。米マイナーでは174試合中141試合が先発登板で、日本でも昨年までの139試合中リリーフ登板は1度だけという数字が、その裏付けとなっている。

オリックスのブランドン・ディクソン【画像:パーソル パ・リーグTV】
オリックスのブランドン・ディクソン【画像:パーソル パ・リーグTV】

先発からクローザーへの配置転換は過去にも少なからず存在

 オリックスのブランドン・ディクソン投手は、プロとしてのキャリアの大半を先発投手として過ごしてきた存在だった。米マイナーでは174試合中141試合が先発登板で、日本でも昨年までの139試合中リリーフ登板は1度だけという数字が、その裏付けとなっている。

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 しかし、今季に入ってからそのキャリアは新境地を迎えることになる。開幕からケガで出遅れると、チーム事情もあって6月にリリーフとして1軍に合流。すると、同時期にクローザーの増井浩俊投手が深刻な不振に陥って2軍での再調整に向かったことを受けて、ほどなくして経験豊富な助っ人右腕が新守護神の大役を任されることになった。

 昨年までは打たせて取る投球を持ち味とし、球界屈指のグラウンドボールピッチャーとして知られていたディクソン。しかし、今季はここまで24イニングで28奪三振と投球回を上回る数の三振を奪っており、投球内容にも少なからず変化が見られる。成績も27試合で14セーブ、防御率2.42と安定しており、チームの窮地を救う活躍を見せている。

 先発としての実績は豊富とはいえ、リリーフ投手としてはほぼ未知数だったディクソンの配置転換は、チームにとっても大きな賭けだったことだろう。頼れる助っ人は新たな持ち場で首脳陣の期待に応えてみせたが、先発から抑えに回って活躍を見せ、守護神不在の非常事態を解決した投手たちは過去にも少なからず存在してきた。

 そこで、今回は2000年以降のパ・リーグにおいて、1年と数か月以上にわたって先発を務めてからクローザーとして活躍した投手たちを紹介。ディクソン投手と同様の道筋を辿った先人たちの経歴を、あらためて振り返っていきたい。

○豊田清氏(元・西武、巨人、広島)

通算成績:558試合66勝50敗81ホールド157セーブ 992回1/3 859奪三振 防御率2.99

 豊田氏は1997年と1999年にそれぞれ10勝を記録するなど、先発投手としても1990年代後期の西武において存在感を発揮していた。しかし、当時のファンの記憶により強く残っているのは、2001年にクローザーに転向してからの姿になるだろう。この年に47試合で28セーブ、防御率2.83で守護神の座を手中に収めると、翌年以降はさらなる進化を見せ、まさに圧巻と言える投球を続けていく。

 2002年は57試合で防御率0.78という驚異的な安定感を見せ、当時のパ・リーグ記録である38セーブを達成。翌年も58試合で防御率1.24と変わらぬ活躍で、前年と同じ38セーブを記録。2年連続で最優秀救援投手のタイトルにも輝いた。翌年は腰痛の影響で34試合の登板、11セーブにとどまったものの、防御率0.98と安定感は変わらず。2度のリーグ優勝と1度の日本一にも大きく貢献し、球界屈指の抑え投手として君臨した。

 2006年に巨人に移籍してからは主に中継ぎとして活躍し、2007年からのリーグ3連覇にもリリーフ陣の主力として寄与。38歳で迎えた2009年には46試合で防御率1.99、広島に移籍して迎えた現役最終年となる40歳のシーズンにも32試合に登板して防御率3.08と、大ベテランの域に達しても衰えぬ実力を見せ付けていた。

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