平成元年の名勝負「10・12」とは? 令和元年に、30年前の激闘を振り返る

前年に悲劇のエースとなった左腕阿波野が胴上げ投手に

 近鉄とゲーム差なしの2位につけていたオリックスが10月13日のロッテ戦に敗れた。翌14日、近鉄の本拠地の藤井寺球場で行われたシーズン129試合目のダイエー戦は、引き分け以上なら近鉄の優勝が決まるという大一番となった。好調の近鉄打線はこの試合でも5回までに5点を奪い、先発の加藤哲郎も6回まで無失点と好投。しかし、7回表に1点を返され、なおも1死1,2塁という状況となると、仰木彬監督は2番手として阿波野をマウンドへ送り込んだ。

 阿波野はこのピンチを無失点で切り抜けると、その後も1失点と粘りを見せてリードを守り抜く。「10.19」で同点本塁打を浴びて悲劇のエースとなった男が、その時と同じロングリリーフのマウンドに立ち、直球勝負で最後のアウトを奪って胴上げ投手に。一時は絶望的な状況に追い込まれながら驚異的な粘りを見せた近鉄が、9年ぶり3度目のリーグ優勝を飾った。

 エースの阿波野は19勝、183奪三振で最多勝と最多奪三振の投手二冠に輝き、防御率2.71もリーグ2位というキャリアハイの1年を送った。49本塁打で自身初の本塁打王を獲得し、シーズンMVPにも輝いたブライアントは、その後も近鉄の主砲として1995年までプレー。3度の本塁打王、1度の打点王を獲得し、リーグ屈指の強打者として活躍した。持ち前の陽気な性格も相まり、助っ人の枠を超えて多くのファンに愛され続けた。

 平成元年のパ・リーグの結果は1位近鉄と2位オリックスがゲーム差なし、3位の西武も0.5ゲーム差。この年の優勝争いがきわめて熾烈なものだったことが分かる。

1位:近鉄 71勝54敗5分 勝率.568
2位:オリックス 72勝55敗3分 勝率.567
3位:西武 69勝53敗8分 勝率.566

 1988年に壮絶なダブルヘッダーの末に勝率2厘の差で優勝を逃した近鉄が、翌年に絶対王者・西武を相手にダブルヘッダーで連勝を飾り、わずか勝率1厘の差で奇跡の優勝を飾る。「事実は小説よりも奇なり」というが、だからこそ、近鉄が描いてきた軌跡は多くの人々の心を打った。前年の悔しさを晴らそうという選手の思いが「10・19」を単なる悲劇で終わらせず、2年越しのドラマの結末をハッピーエンドへと変えたのだ。

(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY