元近鉄・金村氏が語る昭和のプロ野球豪快伝説 「1人私服でセカンドバッグ…」

栗橋氏の豪快伝説の数々「みんなジャージを着て体操してるのに…」

 曲がったことが大嫌い。長いものには巻かれない。全てに対して0か100かで立ち向かう。そんなタイプだったという栗橋氏は、球界屈指の“大監督”として名高い故・西本幸雄監督にも言い返したことがあったという。

「師匠で頭の上がらない西本監督に『お前、手抜きしやがって!』なんて言われると、最初は『してません!』なんて直立不動で答えるんですよ。でも、3回くらい続いたら『してねぇって言ってるだろ!』ってぶち切れるような人でしたね。西本さんにも刃向かっていました」

 かつての選手はお酒に関するエピソードに欠かない。栗橋氏もまた驚くようなエピソードに溢れているようだ。

「東京遠征に行くと、当時は田町の第一京浜沿いに宿舎があったんですよ。栗橋さん、酔っ払うと道路のセンターラインにある生け垣の中に立ってバットを振ってね。深夜、通り過ぎる車のライトをボールに見立てて、車が向かってくるたびにバット振って(笑)。なんちゅう人や。

 キャンプの時も朝、みんなジャージを着て体操してるのに、栗橋さんだけ1人私服でセカンドバッグ持ったまんま体操してました。おそらく、体操の時間には遅れないように帰ってきたんでしょうね。一応そこにはいるけど、バレバレ(笑)」

 金村氏曰く「板橋の十条出身で、高倉健さんの映画は『網走番外地』から全部見ていた」という栗橋氏は、近鉄入団後も「一切標準語が抜けない。今も染まらず、藤井寺でお店やってますよ」という意志の強さの持ち主。毎年オフには車の免許を取ろうを教習所に通い始めるが、「教官から上から目線で物を言われると、すぐぶち切れて辞めるんです」。結局、現役引退後もしばらく経つまでで免許はなく、金村氏が運転手を務めていたこともあるという。「昭和の豪快な伝説の人。大好きな先輩です」と語る目は、愛情に溢れている。

「NOMOベースボールクラブ」の理事として野茂氏とは毎年必ず再会

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