監督生活33年 「岩手の名将」沼田尚志氏の勇退記念慰労会に約100人が出席

花巻東・佐々木洋監督、横浜隼人水谷哲也監督も沼田氏の薫陶を受ける

 水谷監督が国士館大に入学した時、沼田氏は国士館大でコーチを務めていた。「非常に厳しいコーチでした。そんな中、沼田監督から『国士館高校の練習を手伝いに行くぞ』と言われ、ノッカーとして国士館高校の練習に参加させていただいたのが私の指導者としての第一歩。それから37年、沼田監督の背中をずっと追いかけてきました。東北地方でこれだけの先生方とお付き合いさせていただけるのは沼田監督の後輩だからだと思っております」と感謝した。

 花巻東・佐々木監督も「監督になって初めて負けた公式戦が沼田監督の一関学院。サヨナラ満塁ホームランを打たれて、私の指導者人生がスタートしました。次の日に電話をすると指導してくださいまして、沼田監督があって、今の私があると思っています」と感謝した。

 もう一人、沼田氏の影響を受けた指導者がいる。健大高崎の沼田雄輝コーチ。沼田氏の長男だ。この日、健大高崎は明治神宮大会初戦。延長戦を制した試合を見届けて、新幹線に飛び乗って駆け付けた。「父として家で何かをしてもらったという記憶はあまりないのですが、小さい時からグラウンドで」と声を詰まらせ、「グラウンドで見てきた大きい背中、今でも覚えています。今日という日を考えたくはなかった。すごく寂しい気持ちでいっぱい」と涙をぬぐった。

 高校は花巻東に進み、「将来はお父さんのような指導者になりたい」と目標を設定。父の母校である国士館大を経て、指導者の道を歩んでいる。「ご出席されている方々のお顔を拝見させていただきまして、改めて父の偉大さを知りました。私も30年後、このような会を開いてもらえるような指導者を目指し、一生懸命頑張らせていただきます。それが両親に対する恩返しだと思います」と思いを強めた。

 沼田氏からバトンを引き継いだのは、教え子で部長だった高橋滋監督。「高校を選んだというよりは、高校野球をやるのなら沼田監督のもとでだなと感じ、当時の一関商工を選んだのを今でも覚えています」と、沼田氏の人柄に惚れて進学を決意したことを明かした。「高校の3年間と、大学卒業後の25年間、計28年間、沼田監督の背中を追い続けてやってきました。私の人生で一番尊敬できて、一番大好きで」と声を震わせた。

 この秋は県大会で3位になり、東北大会では8強入り。「まだまだ力不足ではありますが、沼田監督が築き上げた一関商工、一関学院の歴史を汚さないように頑張ることが最大の恩返しだと思っております。岩手県の多くのチームと切磋琢磨しながら、岩手、東北地方の野球を盛り上げられるように頑張っていきたいと思います」と決意を新たにした。

 沼田氏は600人を超える教え子一人一人をちゃんと覚えており、ユニホームの背番号は「1人で取ったものじゃない。みんなの思いを背負っているから、一人一人を思って縫いなさい」と指導してきた。定年を迎えるにあたり、今夏限りで33年間の監督生活にピリオドを打ったが、人を大切にしてきた指導が実を結んだ。それが表れた「勇退記念慰労会」だった。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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