甲子園未出場、指名漏れ、社会人時代の挫折… 西武ドラフト1位・宮川哲が歩んだ野球人生

大学4年時には通算9勝をマークし最多勝とベストナインを獲得、プロ注目も指名なく…

 4年時には通算9勝を挙げ、最多勝とベストナインを獲得。プロからも注目を集める存在となったが、ドラフトで名前が呼ばれることはなかった。

「周りは行けると言ってくれましたけど、大学とプロではレベルが違う。自分では無理だろうと思っていました。それでも、自分の名前が呼ばれなかったのは悔しかった。社会人から絶対にプロに行ってやろうと思いました」

 2年後のプロ入りを誓って社会人の名門、東芝に入社したが、自慢の速球をことごとく打ち返された。東芝の平馬淳監督が入社当時の宮川を「暴れ馬だった」と称するように、勢いのあるフォームからそのまま投じられる球に、打者はタイミングが合わせやすかったのだ。

「社会人では球速やコントロールなど、基本的なところ全てのレベルを上げようと思っていたのですが、球速は出ていたけど普通に合わせらせて、空振りが取れませんでした。それから、スタッフや野手に話を聞いて、ただ勢いで投げるのではなく、勢いをなくしてゆったり投げるフォームに変えました。フォームが崩れて、左足が投げるほうの線上じゃなく、外に開いてバッターから見えやすくなることもありました。修正して投げるのは最初は投げづらかったけど、投げていたら慣れていきました」

 フォームが身についてきたのは1年目の都市対抗終了後。秋の日本選手権では、準々決勝の新日鐵住金広畑(現・日本製鉄広畑)戦で先発を任され、7回3失点で白星を挙げた。その後、フォームの修正により課題だった制球面も向上。ドラフト上位候補に名前が挙がるまでに評価を上げた。社会人で成長を遂げられたのは、中日からドラフト3位指名を受けた1学年上のチームの先輩、岡野祐一郎投手の存在が大きかったという。

中日のドラフト3位指名、1学年上の先輩・岡野の存在…

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