「辞めたのにリハビリしている」理由は? ヤクルト引退の館山が語る怪我と戦った16年

変わってきた立ち位置、「自分が…」よりも若手に目がいくようになった

――若い頃と、引退前の考え方の変化がはっきりと見えますね。

「やはり、選手は1年でも長く、自分の成績が良くて1軍で投げ続けることが全てですよね。だけど、そうじゃない。球団が『館山なら球団の意図したことがわかってくれた上で頑張ってくれるのではないか』という思いが、そこにはあったのではないでしょうか」

――1人の戦力としては、ご自身をどのように考えていましたか?

「もちろん、バックアップから普通の戦力になって、最後にはいなくてはならない存在になるのが一番いいけれど、自分の能力は自分が一番知っています。だから、2018年シーズンで引くべきかなとも考えました」

――新たな役割も担った2019年シーズン。どのような気持ちで戦いましたか?

「役割としては、キャンプから取り組む姿勢、自分がチームのために成績を残すということは何一つ変わらなかったですね。キャンプでも、とことん攻めるし、トレーニングに関しても“これでいいや”というのはありませんでした。今まで、やってきたものをさらにより良いものにしてベストを尽くせるように、という気持ちは変わらなかったです。けれど……」

――けれど……?

「共に競っていた若い選手が頑張っていたら、『今、1軍に上がってほしい』とか『今が旬だね』『今が一番いい状態だ』と、心から思えて……。選手の状態に関して、アドバイスするのはコーチの仕事なので、しなかったですが、相談を受けたりしたら、こうじゃないかというのはきちんと伝えたりしていました。そういった中で、自分が上がりたい、成績を残したい、チャンスが欲しい、という見方よりも、自分が選手でありながら、誰が今一番調子が良いかというのを客観的に見ることができました」

――自分のことよりも、若手、役割を全うする気持ちの方が上回る。

「若い選手が1軍に何人か行って、その子たちがダメだった時に、バックアップとして呼ばれるかな……とか、もちろん、自分の成績を残すことで呼ばれる順番というのは上の方に行くけれど、そこはそれほど考えず、冷静でした。2軍でいい成績を残すこともあったし、状態のいい時もあったりして、その時に、このタイミングで『なんで上がれないんだろう』というのではなくて、チームの状態がよければ、それでいい、と。必要とされる時というのはチームの状態が良くない時だと思っていたので……」

――ちなみに、その時に一番、旬だなと思った選手は誰ですか?

「例えば、田川(賢吾)ですね。イースタン・リーグで(2019年8月10日のDeNA戦では4安打1失点で完投、同17日の楽天イーグルス戦では4安打完封を記録した)完投、完封する前にピッチング内容がすごくよかったんです。投球に意図があるなと、捕手との意思疎通もすごく見えていました。1点をあげないピッチングが、大切なところでできていてよかったね、と。あのピッチング良かったねとか、“答え合わせ”みたいなものをアドバイスではなく言える。そういうことが(田川には)何球かありました」

開幕投手を務めたがシーズン中に手術で離脱、2013年は転機の一年に

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