「辞めたのにリハビリしている」理由は? ヤクルト引退の館山が語る怪我と戦った16年
開幕投手を務めたがシーズン中に手術で離脱、2013年は転機の一年に
――若手にとってみれば、経験豊富の館山さんからの助言はうれしいはず。
「でも、自分が選手だったし、どちらかというと、怪我したり、打たれたりという“失敗の歴史”というのは若い子にも言えるけど、成功したことは、自分の投げ方、身体、タイミング、対戦相手だったりする。それって時代も違うし、何の参考にもならないんですよ。本当に自分で前向きに、その中で自分の能力を少しでも高められるようにできたかなと」
――視野が広がったり、客観的に見られるようになった時期はいつ頃ですか?
「2013年にトミー・ジョンの手術を受けた後ですね」
――どのような視点、考えの変化がありましたか?
「2013年に開幕投手になって、その時、ずっと何年も開幕投手をしている各球団のエースや、石川(雅規)さんらに、ちょっとだけ、肩を並べられた瞬間というか、ほんの少しだけ、そちらに行けるのかな? っていう矢先に、怪我をしてしまったんです。やっぱり、『自分ではだめだ』という思いがありました」
――エースとしてチームを何年も引っ張ることは大変なことだと改めて実感を?
「でも、自分のやってきたことは間違いではないし、チームのエースと呼ばれる人は、遠い存在なんだなっていう認識になりました。もう、無理かも知れないって思ったんです、靭帯をやった時は。手術からの1年間のリハビリ……本当にしんどいですよ、トミー・ジョンって。怖いですし。またあれをするのかと思うと、心が折れそうになったというのが本当のところです」
――支えてくれた方もいたのではないですか?
「(チーム内の)リハビリ仲間とかと、“こういう場面だったらこうだね”と話す時間が多くなったのはあります。それまでは、自分がチームの中で任された役割を全うすることしか考えてなかった。でも、それって自分からの一方通行ではなくて、リハビリ中は、由規(現楽天)だったり、木谷(良平)だったり平井(諒)だったり村中(恭兵)だったり、アドバイスをもらうこともありました。リハビリの子がへこんでいるから『よし! 行くぞ』と言って、江村(将也)とか水野(祐希)とかも連れて行ったこともあります。逆に、僕が全然、上手くいかないときは『タテさん、今日はいいから行こう!』と誘ってくれたりもしました」
――現役でありながらバックアップをするような役割は、過去のヤクルトでは誰が担っていたと思いますか?
「日本人選手は枠の問題がないから、そこはたぶん、今まで言われた人はいないと思うんです。でも、昔、山本樹さんがどんな場面でも投げていたとかというのはそういった意味合いもあるのかもしれないですね。山部(太)さんや河端龍さんにしても、先発中継ぎどのポジションでも振られたら行く、というポジションをやっていたのかなと。そういった、大先輩たちも自分の能力も高めながらもいろんな役割を担うということなんだと思います」
(新保友映 / Tomoe Shinbo)