7年連続首位打者、3年連続MVP、210安打… NPB時代のイチローが残したもの
ドラフト4位入団、3年目の1994年に210安打&打率.385と大ブレーク
「イチローの引退」は2019年球界屈指の大ニュースだった。改めてイチローが残した実績を振り返ろう。まずはNPB編。
○1991年
11月のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに4位指名される。この年のドラフトでは4巡目までは入札。若田部健一(駒沢大)、斎藤隆(東北福祉大)、田口壮(関学大)が1位で重複指名されたが、4位のイチローは単独指名。「オリックス 4位 鈴木一朗 外野手 愛知工業大学名電高等学校」と読み上げたのは、この年限りでパ・リーグを退職した故伊東一雄氏だった。
○1992年
7月12日のダイエー戦、木村恵二からプロ入り初安打。しかし2軍暮らしが長かった。2軍では58試合で238打数87安打、打率.366。7月17日、東京ドームで行われたジュニアオールスターゲームで8回に近鉄の中村紀洋の代打で登場し、大洋の有働克也から本塁打。MVPに輝いている。1軍では40試合、打率.253(95打数24安打)、0本塁打だった。
○1993年
1軍では6月12日の近鉄戦(長岡)で野茂英雄からプロ入り初本塁打を記録するが、43試合、打率.188(64打数12安打)1本塁打にとどまる。2軍では前年6月20日のウエスタン・リーグ広島戦(広島)からシーズンをまたいで連続試合安打を継続。8月8日、滋賀県湖東球場での阪神戦で途切れるまで空前の46試合連続安打を記録した。
○1994年
2月21日の沖縄宮古島キャンプでの横浜とのオープン戦初戦で友利結からランニング満塁ホームランという破天荒なスタート。開幕直前に登録名を「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。
開幕後も不動の1番打者として固定され、NPB記録(当時)の210安打を記録、打率.385で首位打者、MVPを受賞、スターダムに躍り出た。打率.385は、1970年の東映、張本の.383を抜くパ・リーグ記録。NPBは急遽「最多安打」を連盟表彰記録とする。
○1995年
阪神淡路大震災が起こり、オリックスは「がんばろうKOBE」と地元を鼓舞。イチローは首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得。本塁打は25本。あと3本塁打で空前の「打撃4冠王」になるところだった。オリックスはリーグ優勝。MVPを2年連続で受賞した。