天国に旅立ったノムさんへ…ライバルや愛弟子たちの惜別の言葉まとめ
新庄剛志氏「お前は悔しいくらい可愛いな 最高の言葉有り難うございました」
新庄剛志氏(自身のインスタグラムで)
「宇宙人の名付け親 新庄お前はファンに愛されるカッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや お前は悔しいくらい可愛いな 最高の言葉有り難うございました 実は野球の指導を1回しか受けた事がないその一回はボールをしっかり芯でとらえなさいただそれだけでした お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ? そりゃ4番ですよ? 次の日から僕を4番に起用し、その年プロ野球人生最高の成績をあげメジャーに行けた ベルサーチいいですよって教えたらずっとベルサーチを着続けてくれた カツノリの性格の良さはプロ野球選手の中でトップお父さんお母さんのおかげ 俺が死んだ後今度は俺が監督ノムさんが選手で二刀流をさせるその時はキャッチャー新庄 野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください 本当に笑顔で有り難うございました また会う日まで野村克也監督」
日本ハム・栗山英樹監督(日本ハム1軍キャンプ地・名護で)
「どういう風に言葉にしたらいいのか難しいですけど、自分自身は1回も褒めてもらうことはなかった。『頑張っとるやないか』と言われるために頑張ってきた。もう少し前に進むのを見てほしかったという気持ちがあります」
阪神・藤川球児投手(阪神1軍キャンプ地・宜野座で)
「人間教育をしっかりしていただいた。野球選手である前にいち社会人だという風にすごくいい指導をしていただいたので、今もこうやって野球をやってきましたけど、日常生活からしっかりと、いい社会人になることを心掛けています。それは18歳の時に指導していただいたおかげ。すごく残念ですけど、アメリカ行く時も電話で話をさせていただいた」
カブス・ダルビッシュ有投手(YouTubeチャンネルで)「僕が1度プレーしてみたかった監督が2人いる。その1人が野村監督。いつか絶対に(一緒に)やってみたかった」
ソフトバンク・甲斐拓也捕手(ソフトバンク1軍キャンプ地・宮崎で)
「話を聞いたのはアップ中にマネージャーから聞きました。聞いて本当にビックリしました。取材でお会いさせていただいて『似ているね』と話していただき、いろいろな話をしたことを覚えています。19番を着けてユニホーム姿を直接見てもらいたかった、見せたかったなと思います。話を聞いて見せられないのは寂しいです。19を着けさせてもらうことになったのでこれから頑張っていかないといけない、いい姿を見せられるように頑張りたいと思います」
ヤクルト・奥川恭伸投手(ヤクルト2軍キャンプ地・西都で)
「1度はお会いしてみたかったです。縁あってヤクルトスワローズに入団したので。野球でも、それ以外でも、本を書かれたり、すごい人だと思います。野村さんの『人間にとって最大の悪は、鈍感である』という言葉が印象に残っています。特に野球は状況判断のスポーツなので、本当にそうだと思います」
ヤクルト球団マスコットつば九郎(自身のブログで)
「てんごくで、ひさしぶりにさっち~とあえてますかね。しーずんはじまったら、じんぐうのしあいをのぞきにきて、たかつかんとくに、ぼやいてください。のむらかんとく、やきゅうをだいすきにさせてくれて、ありがとうございました。こころより、ごめいふくもうしあげます。とうきょうやくるとすわろーず つばくろう」
(Full-Count編集部)