笑顔で「ワシはまだ認めてないからな」―野村ヤクルトの“2番手捕手”が語る名将の記憶

「ワシはまだ認めてないからな。ワシの中ではまだまだお前は2軍の選手や」

 逆に「ほとんどない」という褒められた記憶として「サヨナラヒットを打ったときに背中をパーンと叩かれて、はっと振り返ったら野村さんがいて握手してくれて『よくやった』と。それくらいしか覚えてません」と笑う。ただ、野村さんに怒られることこそが、モチベーションの1つになっていた野口氏は言う。

「今回、野村監督が亡くなったことで“語録”があらためてたくさん出てきていますが、直接聞いたことがないものはありませんでした。これを(直接)言われたな、というのもありますし、ミーティングで出てきたなというのもありますし。『これ聞いたことないな』というのはありませんでした。

『無視・称賛・非難』でいうと、私も『称賛』の段階のときに褒められたというか、マスコミを通じて色々と野村監督が言ってくださったことはありました。でも、すぐ『非難』になりました。そこで『非難』になって怒られ始めたということは、認められた証拠なのかなと。私はそう解釈してモチベーションに変えてやっていましたから、ある程度は認めていただいていたのかなと思っていますけどね。一方で、話題にも登らない選手もいました。褒めてくれるのは若い選手ばかり。『無視・称賛・非難』の3段階を本当に実践されたいたのだと思いますね」

 野口氏はその後、日本ハムにトレードで移籍し、レギュラーとして活躍。ただ、野村さんとの“つながり”はチームを離れた後もあった。

「野村監督が指揮していたチームと対戦したときには毎日必ず挨拶に行っていましたから。3連戦があったら3日間行っていました。挨拶に行くと必ず毒を吐かれましたけどね。逆に『よう頑張っとるな』とか言われたら気持ち悪いというか、怒られなれちゃったという感じですね(笑)」

 忘れられないのは移籍1年目の1998年。レギュラーの座を掴み、監督推薦でオールスターに出場した野口氏は、前年の優勝監督としてセ・リーグを率いていた野村さんに試合前に挨拶に行った。打撃ケージの後ろで東尾修氏(当時西武監督)と話していた野村さんは“毒”と笑顔で迎えてくれたという。

「野村監督から『おお、お前こんなところで何しとんや。ワシはまだ認めてないからな。ワシの中ではまだまだお前は2軍の選手や』とニコッとしながら言われて。隣にいた東尾さんは『何てことしてくれたんですか。何でこんなのパ・リーグに送り込んだんですか』と野村さんに話していたんです。嬉しかったですね」

「『考えることが大事なんだ』と言って頂いた」

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