野村克也氏と王貞治氏が彩った1973年の野球史 通算本塁打王の座を巡る熾烈な争い

野村氏は王氏について「大したバッターだよ、後輩のためにもどんどん記録を伸ばしてほしい」と事あるたびに称賛

 野村氏は口を開けば「(王は)大したバッターだよ、後輩のためにもどんどん記録を伸ばしてほしい」と言ったが、内心は5歳下の王氏に激しいライバル心を燃やして食い下がったのだ。

 2人の通算本塁打数が2本以上開いたのは、王氏が野村氏に並んでから実に3週間後のことだった。通算安打数で野村氏を追いかけていた巨人の長嶋氏は、この年130安打にとどまり、147安打を打った野村氏を抜くことはなかった。長嶋氏は翌1974年限りで引退した。

 南海ホークスは後期は30勝32敗3分で3位に終わり、後期優勝した阪急には1度も勝てなかった。しかしプレーオフでは南海は阪急を3勝2敗で下して日本シリーズに進出。「野村南海は、後期は“死んだふり”をしていた」と揶揄されたが、「知将・野村克也」の名は上がった。これが南海ホークスとしては最後のリーグ優勝だった。

 この年が南海ホークスの最後の輝きだったといえるだろう。野村克也は、打者としても打率.309(5位)28本塁打、96打点でMVPに輝いた。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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