幼少期から際立った意志の強さ 恩師の語る鷹・尾形、土台を作った“研修所”

友達を乗せてソリを引っ張る小学生時代のソフトバンク・尾形崇斗【写真提供:竹内健二】
友達を乗せてソリを引っ張る小学生時代のソフトバンク・尾形崇斗【写真提供:竹内健二】

勉強にも手は抜かず、もともと学力も高かった尾形

「愛子硬式野球研修所」という名前の通り、もちろん、野球のスキルアップにも励んだ。竹内さん宅の裏には投本間18.44メートルのブルペンがあり、ピッチングができた。また、ブルペンは防球ネットで囲まれており、ピッチングマシンを使った打撃練習も可能で、やはり防球ネットを張った駐車場スペースではティー打撃ができた。

 技術指導をしていたのは小野木孝さん。仙台工から1958年に国鉄スワローズに入団し、1軍で14試合を投げた元プロ野球選手。引退後は地元の宮城で子どもたちに野球を教えていた。「愛子硬式野球研修所」ではマンツーマンで選手を指導。尾形もその一人で、小野木さんから受けた指導で投打の基礎を身につけていった。

 尾形が中学生になると同時に「愛子硬式野球研修所」は中学硬式野球チーム「仙台広瀬ボーイズ」を発足。ボーイズとなっても平日は自然の中を駆け回り、順番が来たら小野木さんから技術指導を受ける形だった。休日は球場練習を行ったり、練習試合や大会に参加したりした。

 週に1回は、塾経営者による学習の勉強会も開かれた。勉強も手を抜かず、もともと学力も高かったが、尾形も参加していた。県内トップクラスの進学校に行ける実力を備えていたが、ボーイズの東北選抜に選ばれた時のメンバーから誘いを受け、福島県の古豪・学法石川に進学。私学で野球を中心にした青春を送る道を選んだのだった。

 学法石川ではプロのスカウトが注目する投手へ、成長の階段を上った。スカウトによって評価は割れたが、速球派投手としてドラフト候補に。甲子園には手が届かなかったが、2017年の育成ドラフト1巡目でソフトバンクから指名を受けた。

 2018年元日。数日後に入寮を控えた尾形は竹内さん宅を家族と訪れた。そこには小、中学生時代に一緒に野球をしたり、遊んだりした仲間も大勢、集まっていた。「仙台広瀬ボーイズ」は尾形が高校1年だった2015年に活動を停止。竹内さんと技術指導を行っていた小野木さんがほぼ同時に体調を悪くしてチーム運営ができなくなったのだ。チームの形がなくなって2年。竹内さん宅は久しぶりににぎわった。

作文に記した夢「一流の野球選手になること」

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