元西武GG佐藤氏、今だから明かす北京五輪悪夢の3失策「韓国に気持ちで負けていた」

準決勝は家族も現地で観戦「両親や妻はいまだに、当時の映像を『見たくない』と」

──結局2-6で敗れた

「最後、韓国の右翼手がウイニングボールの飛球を捕った瞬間、そのまま感極まってうずくまった。あれを見たとき、悔しかったけれど、僕らとの思いの違いも感じました。僕が彼の立場だったら、捕った瞬間にああいう行動を取るかというと、取らないと思った。執念では向こうの方が上だったと、あの瞬間思いました。徴兵免除がかかっていたとか聞いていましたが、彼らの本心はわからない。しかし、あの態度を取ったということは、国を背負って日本を倒しにきていた。気持ちで負けていたと思います。韓国代表は国際試合で、マウンドに国旗を立てたり、嫌なこともするけれど、それくらい強い思いがある。日本はある意味、人がすぎる部分がある。裕福だし、幸せですから。国際試合には、そういう違いが国ごとにあることを理解した上で臨むべきだと思いました。侍ジャパンにも、そういう教育が大事ではないでしょうか。キューバがどういう環境で野球をやってきているのか、韓国がこれに勝ったらどうなるのか、知ることは大事だと思う。相手投手の球種などデータを研究するのは当たり前。その上で、相手のバックボーンまで知ってぶつかるのがいいと思います」

──準決勝は家族も現地で観戦していた

「父、母、それに第1子を妊娠中の妻も見ていました。僕はちょこちょこメディアに出していただいていて、結構平気なんですが、両親や妻はいまだに、当時の映像を『見たくない』と言うんですよ。僕は本人ですから、やってしまったことを誰のせいにもできないと割り切れる部分がありますが、周りは『もっとできることがあったんじゃないか』と思うのかもしれませんね」

──当時、奥様に「死にたい」とメールを送ったとか

「あの時はどん底に落ちました。『死にたい』という気持ちになったのは事実。“金メダル以外いらない”と掲げて臨んでいましたし、チームメートも星野(仙一)監督も目標にしていた。野球ファン、国民のみなさんも期待していた。それに応えられなかったことはつらかった」

──ところが翌日の3位決定戦・米国戦にも、左翼でスタメン出場。3点リードの3回、先頭打者の平凡な飛球を落球した。精神的に、あの日のスタメンだけは「勘弁してほしい」という心境だったのでは?

「そうですね。あの時の僕には、気持ちを切り替えられるメンタルがなかった。でも、後日に、人づてですが、星野監督が『彼の野球人生をダメにしたくないから、すぐにチャンスを与えた』とおっしゃっていたと聞いて、胸が熱くなりました。星野さん自身、監督として、他人の人生を心配しているような状況じゃなかったはずでしょう」

──実際、帰国後に最もバッシングを浴びたのは、指揮官の星野監督だった。親友の田淵幸一氏、山本浩二氏をコーチに迎えていたことが“お友達内閣”などと批判され、翌09年のWBCの監督就任も吹っ飛んだ

「星野さんは自分が“戦犯”だといわれるように持っていったのかもしれない。選手のせいにしないで、ボスに責任があるという方向に持っていったのも、星野さんの技量だと思います」

──翌09年、どん底の精神状態から這い上がり、打率.291、キャリアハイの25本塁打、83打点をマークできた理由は

「正直言って、僕自身だけの問題だったら平気なんですよ。逆に、それだけだったら、頑張れなかったかもしれないです。親とか妻の悲しい顔を見てしまった、ファンの人たちを裏切ってしまったという思い、誰かをもう1度喜ばせてあげたいっていう気持ちですね。野球選手以外でも、家族のために、娘のためにって働くことがあると思います。大切な人がいたからこそ、乗り越えられたんじゃないかなと思うんで、感謝しています。北京五輪後、最初の西武ドーム(現メットライフドーム)での試合で、ファンのみなさんがすごく暖かく迎えてくれて、『G.G.佐藤は、どんなときも俺たちのG.G.佐藤だ』というプラカードを見た時も、俺、もう1回頑張らなきゃと思いました」

現在は父が社長を務める会社「株式会社トラバース」で働く

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