4・3代表発表予定も一度仕切り直しへ ソフト協会幹部の人生をかけた5年間

日本ソフトボール協会の矢端信介強化副本部長兼チームリーダー【写真:本人提供】
日本ソフトボール協会の矢端信介強化副本部長兼チームリーダー【写真:本人提供】

約30年の教員を辞め、強化副本部長兼チームリーダーとなった日本ソフトボール協会・矢端信介さん

 12年越しの金へ――代表メンバー発表は間近に迫っていた。2008年北京五輪以来の実施となるソフトボール。復活が決まり、2015年から強化体制を敷き、1年に4回、強豪国が集まるカップ戦の実施、国内強化合宿、世界選手権と計画的にチームを強化してきた。5、6月の合宿、そして福島での開幕戦「7・22」に照準を絞っていくはずだった。

 東京五輪の延期が決まった。日本ソフトボール協会の矢端信介強化副本部長兼チームリーダーは戸惑いを隠せない。3年前に北海道で30年以上務めた教員を辞めて、上京。東京五輪、悲願の金メダルのため、尽力してきた。元々、北海道・とわの森三愛高の女子ソフトボール部の指導者。09年にU-16日本代表を率いてユースワールドカップ優勝するなど、ソフトボール界では経験豊富だが、この事態は想定できるはずもなかった。

「(延期が)決まった直後は、困惑しましたが、今はもう一回『よし!やるか!』という気持ちに切り替わっています。でも、高まっていた緊張感は一気に解けてしまいましたね……。開幕まで150日をきった時から『あと、もう少しだ』とか『やってきた成果がもうすぐ出る』とワクワクしていましたし、ドキドキもしていました。ですが、一気に力が抜けてしまったというのはあります」

 5年後の2020年に28、9歳を迎える世代を「ターゲットエイジ」としてメンバーとして育成し、経験を積ませてきた。そこに「オーバーエイジ枠」を加えて、東京五輪代表メンバーを最終的に20名まで絞り込んだ。そして、4月3日に15名を発表する段取りだった。通常ならば、このメンバーで5月、6月と合宿をし、7月22日に開幕を迎える…はずだった。時計は止まってしまった。

「2020年に向け、絞り込んできたターゲットエイジ(たちの成長)は順調でした。計画通りに来ていました。一番の手応えは、外国チーム相手に戦ってきた自信です」

 国内合宿や、アメリカやカナダ、オーストラリアらランキング上位国とのカップ戦を通じて、力をつけてきた。その間、2016年や18年に世界選手権もあった。あとは機運を高め、東京五輪に挑むだけだった。

 選手たちの気落ちしているだろう姿は容易に想像できた。矢端氏はペンを持った。合宿や世界大会で一緒に過ごした時期も長い、20名の候補選手たちに手紙を送った。

「内容はこういう状況だけれども、ここまで頑張ってきた努力は消えるわけではない。だから、みんなでもう一回頑張ろう、と。(選手からの反応?)まだ確認はできていません。会える状況でもないので、全然わからないです」

 伝えたい思いはここまで戦ってきた誇りを持ち続けてほしいこと。1年後に延期になったオリンピックに向け、気持ちを切り替え、モチベーションを維持して欲しいということだった。

「難しいことですよ。それは分かっています。選手だけでなく、スタッフもそうなんですが、モチベーションは一旦低下してしまうと、上げるのは簡単ではありません。けれど、みんなで協力し合って、照準をもう一度、合わせて、そこに気持ちを高めていく。良い精神状態に持っていかないといけない。でも、協力しようとしても、この今の状況ですからね……。各自で意識を高く、維持してもらいたいと思っています」

 協会スタッフとして、チームリーダーとしての意思や決断をいち早く伝えたいと、手紙を送ったという。今までのように選手を集めて、声を出して伝えたいが、集まることも許されない。矢端氏に訪れた大きな試練――。それを乗り越えていくためには、30年の教員生活で培った術が生かされる時なのかもしれない。

一番大切なことはチーム全体の意識を一つにすること、宇津木監督はすでに切り替わっていた

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