12球団ドラフト史上最高“当たり年”は? 燕は野村克也監督の“慧眼”が冴えた1994年
宮本慎也はプリンスホテルから2位、稲葉篤紀は法大から3位で入団した
毎年、100人近い新人が新たに飛び込んでくるプロ野球の世界。誰もが大きな志を抱いて入団してくるものの、活躍できるのはほんのひと握りしかいない。長いドラフトの歴史で12球団それぞれの最高の“当たり年”だったのは、いつだろうか。各球団を検証していってみよう。今回はヤクルトだ。
野村克也監督の下、1990年代にリーグ優勝4度、日本一3度と黄金時代を築いた燕軍団。ドラフトでもしたたかに選手を獲得してきた。中でも最高の当たり年は1994年だろう。2位でプリンスホテルの宮本慎也内野手、3位で法大の稲葉篤紀外野手を指名したのだ。野村氏の“慧眼”だった。
当時ヤクルトの遊撃手にはブンブン丸こと池山隆寛内野手が君臨していたが、この頃アキレス腱に不安を抱えるようになっていた。「打撃には目をつぶる。しっかり守れる内野手が欲しい」と野村氏がスカウトに進言し、宮本を2位指名した。90年代後半に遊撃のポジションを獲得した宮本はゴールデングラブ賞10度(遊撃6度、三塁4度)、2012年には通算2000安打を達成。通算2162試合に出場、2133安打という輝かしい記録を残した。
そして、稲葉獲得を巡る経緯は語り草になっている。当時明大に在籍していた息子の克則氏(現楽天コーチ)のプレーを見るために東京六大学野球を観戦したところ、稲葉が2試合連続本塁打。その打撃力に目を留め、指名を進言した。入団後は一塁から外野にコンバートされ、入団2年目にはレギュラーをつかんだ。2005年にFA移籍した日本ハムでは更なる輝きを放ち、通算2213試合に出場して2167安打をマーク。現在は侍ジャパン日本代表の監督を務め、1年延期された東京五輪の指揮を執る。
この年、ヤクルトが指名したのは4選手。そのうち2人が通算2000安打を放った。しかも宮本、稲葉ともにドラフトの目玉といえる存在ではなかったのだから“大当たり”といっていいだろう。ヤクルトは翌95年も味のある指名をしている。1位・三木肇(楽天監督)、2位・宮出隆自(ヤクルト・ヘッドコーチ)、3位・野村克則(楽天1軍作戦コーチ)、4位・石井弘寿(ヤクルト1軍投手コーチ)。指名4選手が全員が現在重要ポストに就いている。
今季はドラフトの目玉だった奥川恭伸投手(星稜高)を筆頭に、大卒投手3人、高卒野手2人が入団。新たな当たり年になるか、注目される。