故・木村拓也さんの“緊急捕手” 元巨人後輩が明かす舞台裏「気が付いたらもう…」

緊急マスクがチームを救う、木村拓也さんがヒーローになった日をG党は忘れない

 2009年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)の延長11回、途中出場していた加藤健捕手(現・3軍コーチ)が頭部死球を受けて、交代。残りの捕手はベンチにいなかった。

「加藤健さんが死球を受けて、気が付いたらキムタクさんはもうベンチにいなかったです」

 入団当初は捕手だった木村さんはすぐにブルペンに行って、次のイニングで守る準備をしていた。延長12回、二塁から捕手にまわり、野間口貴彦投手とバッテリーを組み、チームの危機を救った。

「僕がいた頃のジャイアンツは、レギュラー陣以外の人たち一人一人が本当にチームのために何をするかを考えていました。原監督の考えがどうなんだろうと、読みながら野球をしていた気がします。僕はまだ若かったので、先輩たちを見るよりも自分のことで精一杯。すごいところにいたんだなと今、思います。だから、やっぱり優勝ができたのかなと感じます」

 07~09年、第2次原政権は3連覇し、09年は日本一になった。木村さんが示したような献身的な姿勢は確実に受け継がれていた。チームの危機管理の一環として、ベンチの捕手登録が2人の時など“第三の捕手”として寺内監督はスタンバイを命じられることがあった。防具を付けて、練習をした。

「僕なんか(緊急捕手を)やったうちに入らないです。チームが必要とするのであればという感じです。僕が捕手をやることで、キャッチャーの方が1人(ベンチから)外れるという思いもあったので、申し訳ないというか、葛藤はありました。ですが、チームでやれと言うのであれば僕はNO(ノー)と言いたくなかった」

 それは木村さんが残していったものなのかもしれない。

「自分の思いというよりも、チームに対してという思いの方が強かったですね。僕もそういう人たちを見てきているからだと思うんです。キムタクさんを見ていた人なら、自分もと思いますよ」

 優しい笑顔も忘れないが、今でもそのハートもずっと心の中で生きている。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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