【私が野球を好きになった日5】甲子園球場に恋した少女 球児のように叶えた夢

光星学院の伝令で“コケた”小浜主将、智弁和歌山・堤野主将には後に直接取材

 次の試合は光星学院(青森:現八戸学院光星)と九州学院(熊本)の一戦。伝令に送られた光星の小浜巧聖主将がマウンドからベンチに戻る際に転ぶ場面も。「あの人、こけはったわ~」10年以上の時を経て、仲間を和ますためだったということを知ることになるなどこの時はまだ知らない。ただ、プレーだけでなくいろんな形でチームの勝利に貢献しようとするお兄ちゃんたちの姿もまたかっこよく映った。

 8月17日の観戦をきっかけに高校野球にどっぷりハマった私はソフトボールの練習が終わると甲子園へ足を運び、無料の外野席で一人お兄ちゃん達に熱視線を送った。今でもこう答える。

「私のヒーローは堤野健太郎さんです」。

 この年は智弁和歌山が大会100安打、11本塁打を記録するなど圧倒的な打力で優勝した。堤野さんは智弁和歌山の主将だった。俳優の竹野内豊さんにそっくりな優勝キャプテンがまぶしかった。決勝戦の東海大浦安戦(千葉)では2本の本塁打を放つも、全く笑顔を見せずにダイヤモンドを一周した。

「かっこいいなぁ」

 しかし、日本一まであとアウト一つとなった時、それまでクールにプレーしていた堤野選手が遊撃の位置であふれる涙を堪えられずにいた。「やっぱり涙が出るほど一生懸命になれることがある人はかっこいい。どんな気持ちでここまでやってきたんだろう」失策して流す涙、日本一の景色を見て流す涙、いろんな涙に出会ったこの夏。その理由を知りたいと思ったことがいつしか取材し、伝える道へ私を導いた。

 2000年8月17日。高校野球と甲子園球場に恋した日から、15年後。

「応援しています」

 憧れの聖地を仕事場にすることができた私に声をかけてくれたのは、私にとってのヒーローだった。母校・智弁和歌山の応援に来ていたのだ。出演する番組や執筆したコラムなどを通じて私のことを知ってくれていたという。野球の神様が結んでくれたご縁だ。

 さらに2016年春。八戸学院光星のユニホームに身を包んだ恰幅のいい男性を3塁アルプスで見かけた。「こけた人や!」ご挨拶すると、名刺を差し出してくれた。“小浜巧聖”。16年前、伝令の際に転んだあの小浜主将がコーチとして母校の指導にあたっていたのだ。なぜ転んだのか。16年の時を経て自身で確認することができた。

 一生懸命になっているお兄ちゃんたちはかっこいいと憧れた高校野球。今では高校球児より一回り以上年が上になってしまったが、それでも年頃の男の子が甲子園出場、日本一とそれぞれの目標に向かって一生懸命になっている姿には尊敬の念に堪えない。このぐらいでいいかな……と大人になると突き抜けた我武者羅さを忘れてしまうが、高校野球に触れるたびに全力で一生懸命になることの大切さを思い起こさせられるのだ。

 選抜高校野球が史上初めて中止となった。その際も多くの球児が「夏に向けて頑張ります」とコメントしていた。やっと掴んだ夢舞台が一瞬にして夢になってしまい、本当は想像もつかないほどのショックを受けていたはず。それにも関わらず、取材には前向きな言葉を紡ぐのだ。それが背伸びだったとしても、あまりにも大人な対応に頭が上がらない。高校球児は強い。刺激を与えてくれる高校球児の一生懸命さに触れられる夏が来ることを今は祈るばかりだ。

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