パ・リーグ設立70周年、日刊スポーツ紙面でたどる歴史の数々 初年度の一面記事は?

昭和24年11月26日、パシフィック・リーグ創設

 第1回で取り上げるのは、プロ野球の世界にパシフィック・リーグが誕生したその記念すべき一面だ。まずは、その記事の概要について簡単に説明したい。

 1949年、日本のプロ野球は「プロ野球再編問題」と呼ばれる危機に直面していた。当時の日本野球連盟(現行制度とは異なる)の初代コミッショナーであり、「プロ野球の父」としても知られる正力松太郎氏(紙面中央、眼鏡の人物)が、それまでの8球団から球団数を増やし、2リーグ制とすることを提案したのである。数多くの企業、チームが加盟に手を上げる中で、既存の8球団からは賛成派と反対派の双方が生まれ、対立することになった。具体的な球団は以下の通り。

○賛成派
阪神、阪急、南海、東急、大映

○反対派
巨人、中日、大陽

 さらに、ここから阪神が反対派へと考えを変更。賛成4、反対4と事態は完全に暗礁に乗り上げることとなった。迎えた1949年11月26日。こうした状況を打開するため、丸の内東京会館に正力氏のほか、各球団の代表者が集結し、日本プロ野球界の命運がかかる代表者会議を開催。そこでは、日本野球連盟の解体と各球団の自由意志によって新たに構想を練ることが決定された。

 そして、最終決定事項として日本野球連盟球団を6球団からなるセントラル・リーグ、7球団からなる太平洋野球連盟(現・パ・リーグ)に解体し、再構築。その後、セントラル・リーグは広島と国鉄の2球団が加盟し8球団となっている。これにより、日本プロ野球に計15チームによる2リーグ制が誕生した。各リーグのチーム構成は以下の通り。

○セントラル・リーグ
巨人、中日、阪神、松竹(大陽から名称変更)、【大洋、広島、西日本、国鉄】

○太平洋野球連盟
阪急、南海、東急、大映、【毎日、西鉄、近鉄】

※【】内は新加盟球団

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