「薬物が彼をマウンドに立たせた」MLB通算203勝、ロイ・ハラデー氏の壮絶な半生とは…
煙草、アルコール依存、晩年は痛みから薬物依存におぼれていったハラデー氏
2000年代のMLBを代表する先発投手の一人でありながら、自身の操縦する小型飛行機の事故により40歳の若さでこの世を去ったロイ・ハラデー氏。そのハラデー氏が深刻な薬物依存に悩んでいたことを家族が語ったドキュメンタリー番組「Imperfect: The Roy Halladay Story」が29日(日本時間30日)に米TV局「ESPN」で放送される。放送に先駆け、米紙「ニューヨーク・ポスト」がハラデー氏の壮絶な半生を報じている。
MLB通算203勝、防御率3.38と素晴らしい成績を残したハラデー氏。しかし、その野球人生は依存症との闘いの歴史でもあった。記事では「フィールドを去れば、彼の人生はとても苦難に満ちたものだった。オピオイド系の鎮痛剤との依存と戦い、出来れば逃れたいスポットライトなか、周りにいる人に誇りに思ってほしくて、その為に彼は何でもやった」とその知られざる姿を明かしている。
妻のブランディさんが最初にハラデー氏の依存しがちな性格に気付いたのは、2人が結婚する前、彼がメジャー昇格を果たした1998年の11月。煙草の入った缶やウイスキーの空き瓶が家中に散乱しており「子供の頃に自由がなかったから、今の自由を楽しんでいるんだよ」と釈明したハラデー氏のエピソードを明かしている。
その後もアルコール依存は悪化し、防御率10.64を記録した2000年には球団が飲酒問題からカウンセリングを受けさせるほどに。チームメートからは「ミニバー(小さなバー)」とのニックネームが定着した。
酒量を減らした2002年からは成績も安定していったが、それでも寝る前の睡眠薬は欠かせず、試合前には吐くほどプレッシャーを感じていたという。ピッチングの中でしか自分を満たすことができなかったハラデー氏。ブランディさんは何度も野球をやめるよう諭したが、晩年は痛みを抱えながらもオピオイド系の鎮痛剤を打ち試合に出続けた。
2013年に引退し、4年後の2017年11月7日に小型飛行機の操縦を誤り事故。遺体からは薬物が検出された。記事では「彼は投げることにこだわり、薬物が彼がマウンドに立ち続けることを助けた。それが、この悲劇の原因となったのかもしれない」と伝えている。
(Full-Count編集部)