「セブンイレブンが天国でした」元DeNA、ロッテの助っ人が語るBCリーグ時代

NPBではロッテ、DeNAでプレーしたブランドン・マン【写真:荒川祐史】
NPBではロッテ、DeNAでプレーしたブランドン・マン【写真:荒川祐史】

横浜にテスト生として参加し入団、その後はBCリーグでもプレーした

 DeNAやBCリーグ・信濃グランセローズなどでプレーし、2018年に34歳で念願のメジャー昇格を果たしたブランドン・マン。翌2019年にはロッテと契約し1年限りで退団、レンジャーズに戻るも新型コロナウイルス感染拡大による開幕延期でリリースとなった。20年近いキャリアのなか、NPBや日本の独立リーグでの経験をどう捉えているのか。米野球専門データサイト「ファングラフス」のインタビューで語っている。

 メジャー昇格に届かないなか、長くプレーを続けた理由について、ブランドンは「ほぼ毎年、オフに入る時に『これが最後の年だったかも』と思っています。メジャーリーグでも投げられると思っているので、去る気にはなりませんでした。リリースされる度に、『間違っていると証明しなければ』という気持ちになります」。米独立リーグのブルークラブスでプレーしていた2010年、当時横浜ベイスターズの秋季キャンプにテスト生として参加し、契約。「それから、日本のトップレベルでプレーすることになりました。日本での最初の18イニングで無失点でした。『僕はできる』と感じました。好不調はありましたが、メジャーリーグでも投げられると思いながらアメリカに戻りました。それから5年かかりましたけどね」と日本時代を懐かしんだ。

 2013年にはナショナルズのキャンプに参加するも、開幕直前にリリース。代理人に日本に戻りたい旨を伝え、BCリーグを選択した。「本が書けますよ。ある選手と一緒に住んでいました。ユニホームを着てバッグを持ち、フィールドまで半マイル(約800メートル)歩かなければなりませんでした。ジョークじゃありません。練習後にはユニホームを着たまま、ジムまで1マイル(1.6キロ)歩きました。それから帰宅し、ユニホームを洗濯しました。ロッカーはありませんでした。食事もありませんでした。何もなかったのです。セブンイレブンが天国のようでした。すごい経験でしたね。日本の山の中で暮らしていました。巨大なスズメバチをいつも見ていましたよ」とブランドン。シーズン前半は1勝9敗と負け越し、精神的にも辛かったというが「パドレスとレンジャーズでプレーしたアキノリ・オオツカが選手兼コーチのような立場でチームに加わり、サイドアームにすることを話してくれました。それから32イニング1失点のような感じだったと思います」と元メジャーリーガーで同僚でもあった恩人、大塚晶文氏との思い出を語る。

 これまでに野球でいくら稼いだか、との質問には「良い質問ですね。26歳の時に日本に行っていなかったら、すでに辞めていたでしょう」とし、「(NPBでプレーした)2011年と2012年には、6桁(10万ドル=約1000万円以上)稼ぎました。2013年はたった4000ドル(約43万円)でしたが、それは(日本の)独立リーグでプレーしたからです」と赤裸々な給与事情も明かした。

 2018年にはレンジャーズで念願のメジャー昇格を果たし「最初に聞いた時はジョークだと思いました。両親と妻に電話しました。泣いていましたね。僕がどれほど懸命に取り組んできたかを知っているので」とブランドン。今季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕前にリリースとなったが「理解しています。マイナーリーグが中止となった時、正式には中止と発表されていませんが、皆そう思っていますし、36歳がもうプランに入らないことは分かっています。ビジネスの観点から、全く理に適っています。これでキャリアが終わるかもしれないと分かっているので、『ワォ、ついに終わりかもしれない』という感じでした」と長い現役生活の終わりを静かに受け止めている。

(Full-Count編集部)

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