23歳で他界した親友と迎える7月4日… 中日・京田が開幕戦ではめたグラブと約束

大学時代、大阪旅行に出かけた際の中日・京田陽太(左)と中井諒さん【写真提供:京田陽太】
大学時代、大阪旅行に出かけた際の中日・京田陽太(左)と中井諒さん【写真提供:京田陽太】

骨肉腫で入院していた中井さんと話した「一緒に二遊間を組みたいな」

 都市対抗が終わってまもなくの頃だった。中井さんが体調を崩して入院したと、京田は知った。病名は骨肉腫。骨のガンだった。

 一度お見舞いに赴いた際は、いつも通りの笑顔で迎えてくれた。他愛もない会話に花を咲かす。茶目っ気たっぷりの生意気さが、京田は大好きだった。いつだったか、「一緒に二遊間を組みたいな」と何気なく話を振ってみると、ニヤリと笑って返された。

「じゃあ、僕がショートですね。下手な方がセカンドなんで」

 春になって退院したと聞き、快気祝いを送った。数日経っても、返信がない。代わりに中井さんの母からお礼の連絡が来た。その後も、可愛い後輩からのメッセージが届くことはなかった。憎きガンは、しぶとかった。

 季節外れの肌寒い春の嵐となった4月13日。23年間の、あまりにも短い人生に終わりが訪れた。

 現実として受け入れたくない思いが、全て涙となって溢れ出す。妻の葉月さんとともに大阪での通夜に参列した京田は、目を真っ赤に腫らして、中井さんの母にひとつのお願いをした。

「何でもいいんです。諒の野球道具をいただけませんか?」

同じ久保田スラッガー製、同じ担当者だった不思議な縁

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY