「これが人生を変えました」 NPB通算464発ローズ氏が明かす打撃フォームの進化
あのバッティングフォ―ムはどう生まれたか?
――ホームランに加えて、高打率を残せた理由は?
「まず第一に、私はアベレージヒッターであろうとしていました。それに加えて強く、高打率を残せてホームランを打てるよう意識していました。2ボール2ストライクまでは、スイングをコンパクトにし、アベレージヒッターとして、ボールへのコンタクトを意識していましたね。経験を重ねて日本にいる多くの投手と対戦していくにつれて、大きなスイングでホームランを狙うようになりました。ホームランを狙う時、そして安打を狙う時とを分けていた感じです」
――バットを大きく揺らすフォームへはどうやって行き着いたのか?
「以前はグリップの手と身体が近すぎたので、意識的に体から離すようにしたのです。その結果、内側へのストレートを打てるようになり、強くボ―ルを打てるようになりました。なので、理由としては、体からグリップを離し内側のストレートに対応するためですかね。これが人生を変えましたよ」
――NPBで1269打点、464本塁打を記録し、外国人選手歴代最多のホームラン数だ。
「日本では素晴らしいキャリアを過ごせたと思っています。とても幸せなことです。ただ、一つ心残りがあったとするならば、どうしても日本一になりたかったです。日本でのキャリアは最高でしたが、日本シリーズで勝ちたかったです」
――2001年の優勝の瞬間はとてもドラマチックだった。北川博敏氏の代打逆転サヨナラ満塁ホ―ムランは多くのファンの記憶に残っている。
「あの試合は、私がファーストゴロで1アウトになり、そしてノリ(中村紀洋氏)もアウトになり、そのあとたしか、磯部、水口、吉岡が塁に出たんです*。私とノリはベンチにいたのですが、北川がホ―ムランを打った瞬間『なんて最高なんだ!』と思いましたね。信じられませんでした。本当に最高の瞬間でした」
*編集部注:正しくは、吉岡雄二氏、川口憲史氏、益田大介氏
――その時の記憶があまりにも強すぎた、日本一も経験しているかと……
「日本一には本当になりたかったです。日本でのキャリアは本当に素晴らしいものでした。退場行為も多かったですが(笑)。本当に私は勝利を求めていたんです。勝利のためにはなんでもするつもりでいました。アメリカではあまりこういう表現はないかと思うのですが、なんとかしたいと思っていました。勝つ、勝つ、勝つ、その思いを強く持っていました」
――退場も多かった、審判とよく言い合う場面もあった
「う~んと、まぁすべてが完璧な人なんていないですよね。でも、当時は私の考えているストライクゾーンとちょっと違うかなと思ったことはありました。彼らは私の背が高いと思っていたようですが、私の身長は182センチで、そんなに高くはありません、普通のサイズですよ。ハハハハ!
勝利に貢献できるようにと私は常に思っていました。その思いが強すぎて、時には退場に繋がってしまいました。ただチ―ムメイトは理解してくれていました、私が常に全力でプレ―していることをね」
(「パ・リーグ インサイト」海老原悠)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)