27回忌を迎えた炎のストッパー・津田恒実氏 親友・森脇氏と交わした還暦の約束

津田氏との一番の思い出は1991年12月24日、退院し息子のクリスマスプレゼントを一緒に買いに…

 津田氏との一番の思い出は1991年に福岡の病院を退院した12月24日。同年8月に入院した際には医者から「余命は12月」と言われていた。だが、津田氏の現役復帰にかける強い思いが状況を一変させ、奇跡的な回復をみせ退院できることになった。闘病生活を見守っていた森脇氏も感慨深く振り返る。

「当初は余命が12月までと言われていたが、逆に退院になった。病院の隣がデパートで、津田が『息子のクリスマスプレゼント買いに行きたい』と一緒に買いに行った。午前中に2人で子供のクリスマスプレゼントを買いに行ったあの光景は本当に強い感動を覚えた、余命と言われていただけにその時期に退院することになってね。周りの人なら当たり前の姿かもしれないが、津田が歩いている姿、玩具を選んでいてる光景がどれほど奇跡なことだったか、それを見てきただけにそう思います」

 津田氏は1991年オフに退団届を球団に提出し、球団も本人の意思を尊重し受理した。それでも「マウンドに立つ」と現役復帰を諦めなかった。ダイエーに在籍していた森脇氏が球団に駆け寄り、自らの年俸の半分にしても、津田氏を獲得してほしいと、現役復帰を後押しした話は有名だ。

「本人が元気になってくれて、命を伸ばすことに繋がれば。そういう挑戦する姿を見せれば同じ病気と闘う人たちにも勇気を見せられると思った。本人も一緒にやろうと。それには時間がかかると思ったけど、球団が受け入れるという中では少し(枠に)幅もあった。本人も縁があってこっちにきていてホークスでという想いがあって。少しずつ積み重ねて、ある程度野球ができるからだになればやろうと」

 キャッチボールができるまで回復した姿を見せるときもあれば、意識が遠ざかり危険な状態になるなど一進一退の状況が続いていた。ダイエー入団は夢に終わったが、森脇氏は不屈の闘志で病と闘った津田氏の姿に勇気と希望をもらい続けている。

「津田と同じように苦しんでいる人、それ以上に苦しんでいる人もいる。世の中にはたくさん、苦しんでいる方がいる。そういうのを思えば、僕たちのちょっと上手くいかないこと、コンディションの不具合なんかちっぽけなことだと思うから」

 今も尚、脳裏には闘志をむき出しに打者と対峙した津田氏の姿が鮮明に焼き付いている。森脇氏は8月6日に60歳の還暦を迎える。病と闘い現役復帰を諦めなかった唯一無二の親友の思いを変わらずに胸に抱いている。いつの日か、叶わなかった約束を果たすために。

【動画】森脇浩司氏が語った津田恒実氏との秘話 交わした還暦の約束、重ねてしまう「背番号14」の投手とは?

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